社会人のための坐禅(座禅)道場【人間禅】

 

2020.05.30 Saturday

鹿児島支部の紹介(1)

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鹿児島支部の紹介(1)

佐賀 諦観

 鹿児島支部を担当しています、熊本の佐賀 諦観です。人間禅最南端の鹿児島支部の生い立ちなどお話してみることにします。
 平成20年(2008年)の1月の九州互礼会だったと思います。第五世総裁の葆光庵春潭老師から熊本支部は南に向かって道を進めよ、と垂示がありました。つまりは鹿児島へ社会人のための禅の普及をすすめよとの提案でありました。
 当時、熊本支部はやがて創立60年となる歴史を積んでいましたので、熊本支部から福岡に就職した道友の開いた大宰府静座会、そこから発展して春日市の静座会へと福岡市への足掛かりを広めようと展開していたところで既に入門者もありましたが、南進せよとの号令で福岡市周辺の静座会を北九州市の鎮西支部にお願いして鹿児島への進路をとったのでした。南進とはうまい表現でしたが鹿児島県から熊本道場に通ってきている会員が一人もいなく情報源が何もないのです。当たって砕けろ! それだけでした。

 

 南進に率先して動いてくれたのが、熊本県の南部に住んでいた、宇土市の三光庵老居士と先隣の宇城市で現在の薩空庵道芳支部長の二人。三光庵老居士は故第四世総裁の創設された「くまもと診療病院」の初代事務長を務め定年退職し、薩空庵道芳老居士は3代目の事務長を勤めていました。仕事と修行で同じ釜の飯を毎日食っていた仲といえます。
 二人が鹿児島へ熊本支部の行事と仕事の合間を縫って情報収集に通いはじめました。ある時は臨済宗南林寺の早朝静座会に参加したりして、末寺を紹介されたりもしましたが意にかないませんでした。ある時から小生も参加し鹿児島県内の施設やキャンプ場の建物など見て回り、摂心会会場として可能なところを見つけ廻ったものでした。また、この地に人間禅の根を下ろすことが出来るだろうかとの思いもあり名所施設もめぐりました。市内の一角に西郷さんが座ったという座禅石の小さな名所スポットを訪れた時、禅寺跡に腰掛みたいな石だけがチョコナンとあっただけですが、妙に自信をもったものでした。
 先ずは静座会をはじめようと、静座会が出来る場所をとネットで検索し、鹿児島市民文化ホールの20畳和室を借りることが出来ました。
 第1回は南進の号令から半年後の6月1日鹿児島市座静座会を鹿児島市民文化ホールの5階和室で開催することになりました。この会場の窓は海に向かった全開のガラス張り。正面には錦江湾に桜島がそびえ、青々とした海面を割くように屋久島にむかって高速艇の走る景色は何とも素晴らしい鹿児島の象徴的風景でした。
 この日から熊本支部鹿児島座禅会として、月1回の静座会を開催することになり、ワゴン車に座具を積み込んで3時間かけて南進し、鹿児島の地に人間禅の一歩を踏み出しました。

 

 
 市民文化ホール5階 座禅会場から錦江湾を眺める


 ここに到るもう一つ大変だったのは広報を如何にするかでした。ポスターを市内に貼ろうと市の公設掲示板の抽選会に出かけてくじを引き、開催前1週間の掲示版を確保するのです。くじに当たらなければ3時間かけて帰るだけでした。当たれば土地勘のない市内の掲示板を探しながら、鹿児島市内の掲示板60ヶ所にポスターを張りめぐらします。数回続けました。2回ほどは薄謝で私の知人にお願いしましたが、ポスターの反響はほとんどありませんでした。
 鹿児島県内に最大の発行部数を持つ南日本新聞に「南のカレンダー」という頁があり、県内のイベントを毎日掲載しているのを知り、開催日2週間前ほどに掲載依頼を送ってみました。熊本に居ますため何時掲載になったか確認できなかったのですが、新聞の反響はおおきく、第1回に25名を超す参加希望が直前まで携帯電話にはいり和室の会場満杯でとなりました。熊本では未経験の驚きでした。
 直日は現薩空庵老居士、三光庵老居士が助警、小生は受付と休息時のお茶をだす接待係です。こうして鹿児島市で市民座禅会がスタートし、素晴らしい南進第1日目を終えることが出来たのでした。
 次回からその後のこと、鹿児島のことなど少しずつお話してみたいと思います。
 それでは、みなさまお元気で・・・。 合掌

 

2020.05.27 Wednesday

夢窓国師と鎌倉幕府滅亡への時代 夢中問答集より(三)

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夢窓国師と鎌倉幕府滅亡への時代

夢中問答集より(三)

粕谷要道

 時の最高権力者足利直義の要請で康永三年(1334年)に編集出版された仮名法語「夢中問答集」の作者臨済宗の禅僧・夢窓国師疎石(そせき)の現在伝えられている30歳頃までの略歴である。

 法号は夢窓、法緯は疎石、建治元年(1275年)生まれ〜観応2年(1351)没。鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗禅僧。

 生まれは伊勢国、(一部の資料には)三宅村。

 父は佐々木朝綱、母は北条(平)政村の娘。佐々木(六角)頼綱の兄・経泰の孫とある。幼少時に出家し、母方の一族の争い(霜月騒動)で甲斐国(山梨県)に移住する。1283年(8歳)に甲斐(現在の甲斐市)河荘内の天台宗寺院平塩寺(現在は廃寺)に入門して空阿に師事し、真言宗や天台宗などを学ぶ。1292年(17歳)に奈良の東大寺で受戒、京都建仁寺の無隠円範に禅入門。その後鎌倉へ赴き、円覚寺の桃渓徳悟、1299年(24歳)には建長寺の一山一寧のもとで首座を勤める、1303年(28歳)鎌倉万寿寺の高峰顕日に入門、1305年(30歳)に浄智寺で嗣法、印可を受ける。

 以上が夢窓国師が30歳で高峰顕日の印可証明を受けるまでのよく知られた略歴である。ただ、生まれてから8歳で空阿に師事するまでの略歴は資料が乏しく諸説あるようであるが、国師活躍の時代背景を知るうえで興味深いので、検索して調べてみることにする。

 生まれは伊勢国(現在の三重県の中央部にほぼ相当する)で、母は北条(平)政村の娘だとする説。名前は不明。ただ、後述するように北条顕時(1248〜1301)の略歴に、父;北条実時、母;北条政村の娘との記述がある。また、北条政村の略歴の子供;の項にも、北条実時室。の記述があり、「鎌倉、室町人名事典」「吾妻鏡」より。とある。

 

近江国と伊勢国を結ぶ鈴鹿山脈越えの千種街道

 

 三宅村については当時の地名に該当する場所、資料もなく、三重県鈴鹿市に三宅神社が現存するのみで、その近辺とも考えられるが確証はない。

 北条政村(1205〜1273)は鎌倉幕府2代執権北条義時(尼将軍と呼ばれていた政子の実弟)の五男である。平氏姓は初代執権頼政が名乗っていたようであるが、元来伊豆国の土豪であったとの説がもっとも有力である。

 政村の母は伊賀の方で、政村はまた3代執権泰時の異母兄。12代熙時、13代基時の曾孫でもある。

 政村のネット検索での資料、略歴には子供の項に北条時村、政義、政頼。はあるが、娘の名前の記載はないが上述の如く、北条実時室とあり、夢窓国師と北条顕時とはともに北条政村の母方の孫となるが、「鎌倉、室町人名事典」「吾妻鏡」ともに誤植、記載ミス、事実誤認はザラにあるようで、今後の研究課題であろうか。

 霜月騒動とは鎌倉後期、弘安8年(1285年12月14日)に鎌倉で起きた鎌倉幕府の政変である。8代執権時宗の死後、9代貞時の時代、有力御家人安達泰盛と内管領平頼綱の対立が激化し、頼綱方の先制攻撃により泰盛一族与党が滅亡した。弘安合戦、安達泰盛の乱、秋田城介の乱ともいう。

 伊勢国歴代守護一覧には鎌倉幕府の項に次の箇所がある。

 〇 1221〜1238 北条時房(北条時政の子、政子、義時の異母弟。)

 〇 1278〜1301 北条顕時(文永2年、1265年以前より左近将監として伊勢守護となるとの別資料もある)

 〇 1301〜1330 北条貞顕(顕時の子)

 〇 1331〜1333 北条貞冬(貞顕の子)

 既述のように、北条顕時(1248〜1301)の父・実時の室は政村の娘であり、顕時の母であるので、夢窓国師の母とは、姉妹関係になり、顕時が伊勢国守護の任期中母親と同居し、国師母子も伊勢国に住居したことを示す資料はないが、十分考えられることである。

 顕時は鎌倉時代中期から後期にかけての武将で北条氏の一門・金沢(かねさわ・かなざわ)流(ながれ)北条氏の第3代当主であり、金沢顕時とも称される。父実時は第2代当主で鎌倉幕府の重職を歴任したが、金沢文庫の創設者でもある。

 1285年12月14日の霜月騒動では顕時の正室が安達泰盛の娘・千代野であったため、 安達泰盛が霜月騒動で粛清されたことにより顕時は逼塞を余儀なくされたが、10歳前後であった国師と両親も騒動の影響を受けて。甲斐国へ移住することとなったのであろう。

 顕時はその後、第9代執権・北条貞時の信頼を回復して復権したのであった。(つづく)

 

2020.05.23 Saturday

芭蕉『笈の小文』より、その2

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芭蕉『笈の小文』より、その2

杉山呼龍

 

 『笈の小文』とは、芭蕉の俳文のうち『奥の細道』とならんで重要なものである。それは「風羅坊」の名乗りがあるからである。芭蕉は仏頂河南禅師の嗣法者である。『笈の小文』の旅の出発は芭蕉44歳の10月である。この「風羅坊」の号はそれ以前には使われておらず、仏頂が芭蕉に嗣法の証として与えたものであろう。この『笈の小文』は、芭蕉にとっては特別のものであり、生前密かに門人の河合乙州(おとくに)に託し、死後15年後に出版されたものである。

 

何の木の花とはしらず匂(にほひ)哉

 

これは『笈の小文』の中にあり、前書きとして簡単に「伊勢山田」としか書いてないが、伊勢神宮に参拝した時の詠である。別の真蹟写しには精しい前書きがあって、貞享五年二月末伊勢に詣でていること、それが五度めであることが書かれている。それに続いて「かの西行の『かたじけなさに』とよみけん涙の跡もなつかしければ」とあり、「かの西行の『かたじけなさに』」とは、西行が神宮に詣でたときの歌

 

何事のおはしますをば知らねども かたじけなさの涙こぼるる

 

を指している。芭蕉はこの歌を思い起こし、西行の涙を偲んで詠んだものである。芭蕉の「何の木の花とはしらず」に対応するのが、西行の「何事のおはしますをば知らねど」の部分である。西行のこの歌は、神宮参拝者としての素朴な感情を表しているが、その感情が涙こぼるるまでとは歌詠みとして、また仏道修行者としてきわめて素直な心情を持っていたことを示すものであろう。芭蕉の俳句の解釈を、西行の歌を参考にして考えると一段と味わいが深くなるので、そのことを次に示そう。

 西行は晩年の63歳から7年余を伊勢に草庵を結んで過ごしている。当時起こった源平の合戦を避けたとも言われている。伊勢神宮ないし神道に関して理解の深さを示す西行の歌に次のものがある。

 

深く入りて神路(かみじ)のおくをたづぬれば また上もなき峰の松風

 

これは「大日如来の御垂跡(おんすいじゃく)をおもひてよみ侍る」と前書きがあり、大日如来の本地垂跡を意識して詠んでいるが、そこには神の道を追求したとき、この上もなく尊い存在を峰の松風に譬えて暗示している。松は「永遠」、風は「空」と考えれば、ここには仏教の本質、絶対性を示していると考えられよう。また、それが「神路のおく」だと言っているので、同時にそれが神道の本質であるとも言っているのである。神仏習合とは形に現れた理論を言っているのであって、西行はこの歌によって神道の本質も仏教の本質も同時に捉えていると言えるだろう。

 また、西行の仏教理解を表すものとして、別の和歌を紹介しよう。

 

何事も空しき法(のり)の心にて 罪ある身とはつゆもおもはじ

 

これは前書きに「心経」とあり、般若心経を和歌に詠んだものである。西行の生きた平安末期は、恵心僧都源信の『往生要集』にある通り、六道輪廻の地獄が強調された。当時の仏教の布教方法は、地獄の恐怖心を強調して、その後に極楽往生を求めさせるやり方であった。西行の和歌に、地獄絵を見て詠んだと思しきものがいくつかある。地獄に行くのは罪人であるが、この和歌では罪人であることを否定している。しかし、西行自身以前にその影響下にあったことを示している。「空しき法の心にて」と初めにある通り、「空しき」とは般若心経の「空」のことであり、それを「何事も」と言っていることから、森羅万象に「空」を捉えていて、かつ罪人として六道に輪廻をすることを否定していることから、

般若心経の本質を適格に捉えていると言えるだろう。

 このように西行の歌は深く大乗仏教の本質に立っているので、芭蕉の俳句もそれに合わせてつくられている。先に示した「何事の・・」の和歌に対して改めて、最初の芭蕉の俳句を見てみると、先に述べたように芭蕉の「何の木の花とはしらず」に対して、西行の「何事のおはしますをば知らねど」が対応している。西行は、伊勢神宮を前にして何とも言いようのない神々しさに打たれて詠んでいるが、尊くて尊くてこれ以上ないほど尊いがその存在が自己にとって、何があるかわからないと言っているが、翻ってそれを自覚的認識的に表現したと考えれば、その本質は「仏性」とか「空」とか、と言い表すしかない。芭蕉もそれを解かって、何らかの「木の花」を「しらず」と言って表したが、それは本来表現できるようなものではない何かを表しているのであり、「匂い」として感官に訴えて存在することは解るが、「しらず」と言いながら、その意味するところは、あらゆる存在、森羅万象をあらしめている「大乗仏教の真理」であると表現しているものなのである。このように芭蕉の句は、改めて西行の歌を考え合わせる時、たいへん深い世界を表していることがわかるのである。

 

2020.05.21 Thursday

新型コロナと共生する時代の摂心会

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新型コロナと共生する時代の摂心会

 

稲  瀬  光  常

 

 人間禅では、この3月から5月にかけてほとんどの支部や禅会において摂心会が中止された。5月の本部行事が全て中止されたのも、人間禅創立以来70年の歴史の中で、はじめての出来事であった。

 これは言うまでもなく、新型コロナの日本全国での爆発的な感染が予測される中で、国が緊急事態宣言を発出し、国民全体に不要不急の外出を自粛するよう要請するという前代未聞の対策に適切に対応すべく、各支部や禅会が摂心会を中止したものであり、極めて妥当なものであった。

 幸いにも、5月も下旬を迎へた現在、我国においては新型コロナの感染は低いレベルで押えられ、首都圏と北海道を除く地域においては、緊急事態宣言は解除され、国民生活を日常に戻す活動がはじまっており、早晩首都圏や北海道もこれに続くものと思われる。

 このような状況認識の下で、人間禅の活動、特にその中心をなすところの各支部、禅会における摂心会の再開をどのように行っていくかということは、今私たちが対処しなければならない最大の課題である。

 先般、人間禅の本部より摂心会を再開するに当ってのガイドラインが示されているので、これをベースとして各支部、禅会で更に工夫をして感染予防に万全を期しつつ実施していくことになると思われるが、会員の中には、性急な再開に疑念をもつ向きもあるかも知れないと思う。

 万に一つも自分が感染しては、社会的な立場上大変なことになるので、ワクチンが開発されて全く問題がなくなるまでは、参加を見合わせたいと思う人や、感染すれば重篤になり易いと言われている持病を持っている人の中には、もっとはっきりした特効薬でも見つからない限り、参加を見合わせたいと思う人もいるのではないかと思われる。

 そのように慎重な対処をしようとする人に対し、単なる精神論を振りかざして会員ならば当然摂心会に参加すべしと強制することがあってはならないことは言うまでもない。

 最終的には、会員一人一人がどのように判断を下すかにかかっている訳であるが、私たちは既に科学的知見に基づいて感染拡大期においては摂心会を中止するという決断をもって対処してきた。次は感染減退期における適切な対応とは何かということが、工夫されねばならない。新型コロナは正しく恐れねばならないとよく言われるが、感染の危険がかなり低くなったにも拘わらず必要以上にそれを怖れて、人間禅の生命とも言うべき摂心会の開催に二の足を踏み、いわゆる角をためて牛を殺すことになってはならないのではないかと思う。

 新型コロナはこれを完全に駆逐することは困難で、如何にして共生していくかを考えなければならないことが指摘されており、将来改めて感染が拡大する可能性も否定できない訳で、その折には国や都道府県の施策もにらみながら、再度中止する決断が求められる場合もあるであろう。しかし現状においては、人間禅の各支部、禅会は如何にすれば安全な摂心会を厳修することができるかという前向きの姿勢で、摂心会の再開に取り組むべきときではないかと思う。

 状況を総合的に観察し、これに的確に対応するのは、正に禅の修行者としての私たちの力がためされる法戦場裡というべきである。

 

2020.05.20 Wednesday

五 戒

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五 戒

 人間禅には、五戒があります。

一、嘘をついてはいけない。

二、怠けてはいけない。

三、やりっぱなしにしてはいけない。

四、我儘してはいけない。

五、人に迷惑をかけてはいけない。

 五戒は、やさしい表現で誰でもわかる言葉ではあります。しかし、日常で本当に実践できているかと省みれば、その難しさに気づきます。平生普段の生活のなかで、これ以上の修行の実践基準はないと思います。

 毎日の反省の糧として、五戒を実践できるように工夫をしています。現実に実行することが大切です。中々どうして慚愧の極みです。

佐瀬霞山拝

 

2020.05.19 Tuesday

時間が盗まれる?!

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時間が盗まれる?!

丸川春潭

 5月16日(土)読売新聞編集手帳に、次のような面白くて深い記事が載っていました。

 「ドイツの児童文学者エンデの童話『モモ』に時間を盗む男達が出てくる。「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々は時間を預けてしまうのだ。◆理髪店の主人がはたと気づく。客との会話をやめ、急いで仕事を済ませるようにしたところ、ちっとも楽しくないことに。たわいもないおしゃべりの時間が仕事を豊かにしていたのを自覚するのだが、今これに似た喪失感を抱くのは理髪店業の方々ばかりではあるまい。◆コロナ対策で抑制を求められる生活習慣の一つに、おしゃべりがある。複数で話すときはマスクを着け、距離を空けましょうと。◆恐らく、そこまでして語らっても以前の心地はないだろう。最近、感染症の拡大以前に製作されたテレビドラマを見てドキッとすることがある。オフィス、居酒屋、公園・・どんな場所であろうと、登場人物等が顔を寄せて会話する場面にいちいち胸がざわつく。◆今の我慢が本来めざすべきは、楽しくおしゃべりのできる「3密」に戻ることなのに、忌むべきもののように錯覚している。おかしい。ウイルスに豊かな時間を盗まれてしまったからだろう。」

 これを読んだ最初は、時宜を得た面白い切り口だくらいな感じでしたが、その内にだんだん人間の本質に迫る深い話ではないかと何回か読み直しました。「客との会話をやめ、急いで仕事を済ませるようにしたところ、ちっとも楽しくないことに気づき、たわいもないおしゃべりの時間が仕事を豊かにしていた」の下りです。

 われわれ人間形成の禅の会において、またその傘下の支部や禅会において、“楽しく”とか“仲よく”ありたいと思っているのですが、なかなかそれが難しいと最近思っています。その難しさに対するヒントが、この理髪店主の感覚を大事にすることにあるのではないかとふと思った次第です。

 耕雲庵英山老師は、この支部は団結心があり仲が良い!と小生に説明されたことがありました。磨甎庵劫石老師は、この支部は冷啾々として冷たい支部だと眉をひそめ嘆かれたことがありました。小生は、担当する支部や禅会において、新到者が来たときに自分もこの仲間に入りたいと思うような雰囲気を持つ支部や禅会づくりをしようではなかと最近よく話しています。ここで肝心なことはそこに入れば楽しい仲間の一員になれると感じられるかどうかです。

 この“楽しい”が問題ですが、立教の主旨の「正しく・楽しく・仲の良い」の深い法理を含んだ「楽しい」ということと直結してしまうと冷啾々に陥る危険があります。理髪屋としての仕事は時間が掛かったとしても、たわいのない会話によって生まれてくる“仕事の時間を豊かにする”観点で、“楽しさ”を考えてみる必要がありそうです。

 耕雲庵英山老師は、摂心会の円了後には必ず酒宴を持たれていましたが、まさにたわいもない会話の類いでしょうが、老師はこのたわいもないことを大切にされ、時には裸になってひょっとこ踊りもされました。今から思うとそのたわいなき踊りに寒毛卓竪(かんもうたくじゅ:恐ろしさにぞっとするの意)です。

 最近の若者は、ゴルフも麻雀も一杯飲みもパスだそうです。しかし、スマホでの人との繋がりには敏感であり、精神的孤独に怯えているのが実態であると社会学者は分析しています。それは人との繋がりの中での自己認証を求めているのかも知れません。スマホの会話の内容にしてもまさに“たわいもない会話”でしかないのです。それでも自己認証になっているのかも知れません。

 小生が新到者として岡山支部の摂心会や座禅会に参加していたころの岡山支部にはその後十年くらいでお師家さんになるような方3名を含め、味のある旧参の方が何人か居られました。これは後から考えて有り難かったのかと思います。最近の支部や禅会の中には、修行歴10年以内の修行歴の浅い人だけしかいない支部や禅会がかなりありますが、そういう所は師家が何かと出向いていって、難しい話ではなく世間的な会話をすることも支部づくり・禅会づくりには必要なのかも知れません。

 たわいのないお客さんとの会話によって、仕事の時間が豊かになる観点は、支部づくりだけに留まらず、人間が社会で過ごす一生における意味を示唆してもいると考えます。難しく法理的に云いますと、楽しさとは自己に合掌することであり、仲よくとはお互いに合掌することであります。たわいもなき会話の根底にはやはりお互いを認め合いまた認められた自分の存在を認識するということが、無意識に流れているのでしょう。だから豊かな時間を感ずることができるのです。人間社会にしても家庭にしても効率だけではなく無駄やたわいもないものがなければ面白くも可笑しくもないのでありましょう。

 最初に掲げた編集手帳の締めくくりは、「おかしい。ウイルスに豊かな時間を盗まれてしまったからだろう。」でしたが、人ごとではない!我々人間禅の活動において、また一回しかない自分の人生において、「豊かな時間」を他に盗まれたり、自分で粗末にして亡くしたりすることがあっては、これは申し訳ないことです。ご用心!ご用心! 合掌

 

2020.05.13 Wednesday

コロナ・パンデミックと禅(4)

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コロナ・パンデミックと禅(4)

丸川春潭

 国民の多くがstay homeしただけで、多くの失業者が発生し多くの路頭に迷う人が出てしまう。車の販売が減り自動車会社(トヨタ)の営業利益が80%下がる。車が売れないと小生の縁のあった製鉄会社の高炉が次々に送風停止に追い込まれる。高炉が止まると製鉄所の下工程の多くが連鎖的に止まることになり、製鉄所本体よりも多い従業員を抱える下請けに激震が及ぶ。そして製鉄所を中心にした街の賑わいが消えてしまう。お花屋さんから物づくりの大会社まで、小学生からお年寄りまでの国民全体を巻き込んだ恐ろしい未曾有の社会実験が、日々目の当たりに展開して行くこの頃である(5月13日)。 

1.コロナ騒動を通じて見えてくる日本の特徴

 日本の政府のアクションは外国のような権力による強制ではなく、罰則のない自粛要請だけなのに、外出が激減しコロナが終息して来ている。しかも欧米の感染発生人数や死者数は50〜100分の1と低レベルに押さえ込めそうである。これは世界的に見れば、あり得ないことではないか? 規制も遅く緩くても粛々とコロナ対応が市井の隅々で実践されたからである。東日本大震災後の日本人の整然とした災害対応の態度に、世界のマスコミが驚愕したと同じ状況がまた再びここでも出ている。辛口ジャーナリストの門田隆将のTwitter(5月9日)では、「医療従事者の使命感と気迫、国民皆保険を成し遂げた先人、世界に冠たる衛生観念、新薬開発への科学者の執念、不安の中でも我慢と辛抱で自粛に従う精神力…コロナ禍が過ぎ去った時、世界は日本の真の力に驚嘆するに違いない。5月末まで精一杯の闘いを。日本人はやる時はやる。」には共感し、いいね!です。

 しかしなのに、依然として自殺者の数は世界のトップクラスであり、また日本人は自分に対してまた国に対して自信が持てない(参考情報1.)のはどこから来るのか?

 そして自国内での自虐とも云えるコップの中の諍いが絶えない。すなわち、コロナが中心の国会審議のレベルの低さは目を覆うばかりである。特に野党は政府を追及して選挙の受けを狙う質問姿勢が目に付き、云っていることの中身は重箱の隅ほじくりに終始している。SNSにおいて党利党略優先でコロナから如何にして国民の命を守ることを後回しにしているとの酷評メールが炎上している。まことに残念なことである。同じようなことが朝日系マスコミのねじ曲げを含むアンフェアな報道にも辟易である。世論調査に出ているように政権への不満を増強させている成果は出ているのでしょうが、自分たちの支持率もどんどん減らしている状況は、まさにコップの中の些末な争いを国会で代議士連がやっている。これもまた日本である。

2.コロナ終息後の社会はどうなるのか、どうなるべきか?

 このコロナ後の世界は決して元通りにはならないと云われている。もともと経済を中心にして波乱含みの現代社会(参考情報2.)であるが、それがこのコロナショックでどう変わってゆくのか?どう変わるべきなのか?

 5月11日7時のNHKラジオで、全国的にいろいろな形のNPO的助け合いの活動が草の根的に出てきているニュースを聞いて清々しい朝になった。マイケルハート(米国、思想家)は中間層の中からの“common”の台頭が次の社会を切り開くと云っている(参考情報3.)が、その萌芽が既に日本でも出てきているのを感じた。

 フランス思想家・経済学者ジャック・アタリ氏は、アメリカやブラジル等に見られるように中央集権が強まり、権威主義にシフトするのではないかと危惧している。そしてアタリ氏は、”パンデミックと言う深刻な危機に直面した今こそ、「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返らねばならない。協力は競争よりも価値があり、人類は一つであることを理解すべきだ。”と説き、“利他主義という理想への転換こそが人類サバイバルのカギである。”と(参考情報4.)。

 利他主義とはどういうものであり、この利他主義へのパラダイムシフトをどう現実に日本で進めたら良いのかが問題である。経済学者・思想家であるアタリ氏の云わんとする方向性は、我々在家禅者にとってはよく判り同意するものですが、それへのアプローチは全く違うものになるでしょう。そもそも氏の説く「利他主義」を我々はコロナ以前から、遡れば72年前の人間禅発足の時から堅持しており、既にその目的に向かってのアプローチを実践して来ているのである。ただ我々のアプローチをパラダイムシフトにするためのstrategy(戦略)は全く見えてないのが残念なところである。

 我々は一隅を照らすほどの遅々とした利他心の普及を継続するしかないのであるが、しかしこういう世界の多くの思想家の方向性の一環の中で我々は日々精進努力しているという自覚は必要なことであり、こういう人達との連帯を意識することは大切なことである。(未完)

 

参考情報1.日本財団:https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html

参考情報2.NHK放映の「欲望の資本主義」のジョセフ・スティグリッツ、安田洋祐

参考情報3. マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソン、斉藤幸平の『未来への分岐』

参考情報4.NHK―ETV4月15日「緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」

 

2020.05.13 Wednesday

直義と国師の仮名法語出版のいきさつ 夢中問答集より(二)

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直義と国師の仮名法語出版のいきさつ

夢中問答集より(二)

粕谷要道

 前回のブログより、夢中問答集を読んでいる。昭和九年、岩波書店発行の「夢中問答」校訂者、佐藤泰舜曹洞宗管長(京城大学教授)は「校訂者のことば」で、「夢窓国師疎石(そせき)が、足利尊氏の弟直義の問に答へし法語を録したもの、、、、中略、、、、諷詠に託して縹渺、象徴を假りて難解、もしくは支那風(中国)風の表現によって親しみ難い禅書の多い中に、これは又極めくだけた和文、、、、であり、而も不立文字の調べ高き風格を伝えることに於て、稀に見る述作である。一派に偏らず、一時代に捉はれず、実に正しく禅の立場を表示して、、、、確かに古今の名篇、、、、、。

 跋文に示すように、高師直(こうのもろなお)の一族にして伊予の太守なる大高重成(直義の側近の一人)によって、康永三年(1344)夢窓国師の在世中に早くも出版せられ、五山版として、特に仮名文印刻の初頭に位するものとして珍重されて居る。

 室町時代の初期には、下野足利(しもつけあしかがー二百数十年前より源義国・足利氏の祖、土着の地)に於ても開版せられ、、、、、徳川時代に入りては、元和、寛永、正保、貞享、文政等開版或いは復刻がこの書の普及を物語って居る。

 、、、中略、、,標題は読者の便を計り、読み本としての立場を考へ、成る可く専門語を避けて、なだらかな文句を選ぶようにしたが、問答の要点をそれて居るものがありはしないかと恐れて居る。振仮名は仏教のよみくせのあるものに限った、仏教術語に対しては、注解を加えなばと思ふ節が多々あるけれども、一切之れを省くことにした。」とある。

   

  左)足利尊氏像(浄土寺蔵)、右)一時は源頼朝像とされたが、現在は足利直義とされる画像。下の騎馬武者像は馬具の輪違いの家紋より、高師直かその子師詮の画像とされている。(ウィキぺディアより)

   

 

 夢窓国師が足利直義の問に答えた法話集『夢中問答』三巻三冊、全編九十三章は問答を仮名(カタカナ)交り文で、在家の女性や道に志す者に見せたいという直義の意を受けて、大高重成が刊行したいきさつは、最初重成が等持寺の古先印元を介して、康永元年(1342)九月南禅寺住持の竺仙梵僊に跋文を請い、同三年十月に重成自身の帰依僧である大年法延から、再び南禅寺東堂(隠居寮)本師竺仙に再跋を請うて上述のように康永三年に出版したのであった。

 この康永と言う年号は南北朝時代の北朝方で使用され、暦応の後、貞和の前、1312年から1345年までの期間である。

 因みに足利尊氏が新政府を樹立したのは1336年である。この時代の天皇は、北朝方が光明天皇、南朝方は後村上天皇、室町幕府将軍は足利尊氏であった。

 

 足利直義(ただよしー1306〜1352)は鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏(さだうじ)・上杉清子の三男に生まれた、室町幕府初代将軍足利尊氏の一歳違いの同母弟で、幕府草創期の実質的な幕政の最高指導者であった。その後の中先代の乱では後醍醐天皇の子息・前征夷大将軍護良親王を殺害した。後に実兄尊氏との権力闘争・観応の擾乱で敗れ東国に逃れたが、鎌倉に幽閉され急死した。

 

 電子辞典などによれば、NHKの大河ドラマなどでは粗野な馬鹿者に描かれるが、幼少の頃より尊氏と兄弟仲は良く、足利一門の渋川貞頼の娘を正室として他に側室を迎えなかった。二人の間には長く子が生まれず、尊氏の庶子直冬を養子にしたが、夫婦ともに四十歳を過ぎてから思いがけず男子如意丸が誕生した。このことが直義に野心を芽生えさせたと『太平記』は描いている。尊氏が激しい感情の起伏がある人物とされるのに対し、直義は冷静沈着であったとされる。尊氏が山のように贈られてきた品物を部下たちにすべて分け与えたほど無欲だったという逸話が有名であるが、直義はそもそもそういう贈り物を受け取ること自体を嫌った、清廉潔白、実直であったという。

 

 戦上手で薙刀の名手、豪胆で楽天的、激戦中に笑みさえ浮かべていることもあり、気まぐれで公の場から雲隠れすることもあった尊氏について、現代の脳医学者からは双極性障害があったのではとの疑いさえ出ている、そのような尊氏に対して、直義は戦下手、強直で冷静沈着、知性的で気真面目であった、『太平記』の祖形となった史書の誤りを訂正させた話なども伝えられている。夢窓国師に衷心から帰依して、忌憚のない質問をぶつけていたであろう事が夢中問答から偲ばれるのである。(つづく)

 

2020.05.12 Tuesday

コロナ休暇

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コロナ休暇

丸川春潭

 4月の年間スケジュールでの摂心会は、岡山、宇都宮、本部(市川)が予定されていましたが全てキャンセルになり、5月においても5日までの本部行事、豊橋、岡山、名古屋の摂心会も全てキャンセルになりました。これは考えて見れば、師家になってからの15年間で初めての経験です。摂心会が2ヶ月続いてない事態に突然なってしまいました。

 非常事態宣言が発出され、外出自粛が厳しく要請され、stay home が義務づけられる中で、中小企業家や個人商店は経営の持続に四苦八苦する一方、自宅巣籠もりの大人も子供もストレスが溜まり、いろいろ問題も起きているようです。小生は暇を持て余しているのではと言われ、そう思われるのも当然かなと思いますが、意識的にはそんなことは全くありません。むしろ宝くじにでも当たったような(その経験こそ残念ながらありませんが(>_<))、この突如恵まれたコロナ休暇を今までやりたかったけどできなかったことを楽しんでやっています。

 従来から自宅に居るときの習慣になっている日課(朝晩の座禅、朝のお手前茶、散歩4千歩以上、スクワット30回以上を2回)はそのまま従来通りやっていますが、その残りの時間が何をやっても良い時間であり、文字通り有り難いものです。

 時間があったらやりたかったことは、懸案になっている樋の詰まり修復などの作務とか、大きくなりすぎた大木の庭木、繁り放題の庭木の剪定、累積した書斎の整理(特に住金時代の資料の断捨離)などありますが、この際是非にというのは読みたかった本の読破です。

 四月中に、『未来への大分岐』集英社新書を読み切ることができました。小生にとってはなかなか難解な本でしたが、想定以上に大変勉強になりました。日本の新進気鋭の哲学者(斉藤幸平:33歳)がマイケル・ハート(アメリカの哲学者・比較文学、60歳)、マルクス・ガブリエル(ドイツ哲学者、教授、40歳)、ポール・メイソン(英国、経済ジャーナリスト、60歳)の現代思想家を代表する3人との対話で現代社会を論じているものです。

 我々は在家禅者として、禅による人間形成を実践しつつ、市井の一市民として次の世代に人間社会をどうバトンタッチして行くのかの責任があります。その為には、新聞・テレビの情報だけでは些末で目先過ぎます。少なくとも100年くらい遡って、世界がそして日本がどう歩んできたのかの歴史の勉強の上に立ち、現代は歴史的にどういうステージにあるのかを客観的に先ず認識する必要があります。しかし歴史書を繙いても、一概に思想・政治・経済の流れを自分で読み取ることは大変難しいことです。この本は、高々350頁ほどの新書版です。彼らが膨大な歴史書を読みよく考えて語ってくれているので、格好の時代を読む参考書になっています。鵜呑みにすることでは無く、参考にしたら良いのですが、想定以上に勉強になり、何が今大きな人類的課題になっているのかが漠然とですが判りました。

 冒頭に、“Think Big!”と出ています。目先の政治や経済の動向を個々の現象に囚われることなく、大きく考えることの必要性を説いているのです。人間形成の禅とは次元が違うけれども無縁では決してありません。すなわち民主主義がどう変容して大衆迎合のポピュリズムになるのか、どうして再びナチズムのような全体主義が台頭してくるのか?資本主義がどう変容し壁に直面しているのか?将来の読めない膠着状態と並行して進む格差社会をどう打開するのか?これからの社会体制として何を新進気鋭の彼らは考えているのか?は、まさに一市民として“Think Big!”しなければならないところです。皆さんも今回降って湧いたようなコロナ休暇を利用して是非大きく考えて見て下さい。

 

2020.05.09 Saturday

「友情と呻き」

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「友情と呻き」

夢中問答集より

粕谷要道

 室町幕府を開いた足利尊氏の弟で、初期の二頭政治を支えていた副将軍足利直義が在家の女性や道に志す者の為に、また自身の為にも参禅の師夢窓国師に通算九十三項目にわたる問を発した。

 その一、「衆生の苦を抜きて楽をあたふる事は、仏の大慈大悲なり。しかるを仏教の中に、人の福を求むるを制する事は何故ぞや。」(原文のまま)と。

 「衆生の苦を抜き楽を与える」ということは菩薩の遊戯三昧の境涯から衆生済度する禅の師家の役目でもある、修行者の側からいえば自己の転迷開悟(迷いを転じて悟りを開く)の実を挙げ、仏祖の慧命を永遠に進展せしめる事である。

 衆生のために抜苦与楽する「仏の大慈大悲」とは、まず語句の意味としては、慈はサンスクリットのマイトリー(友情)の訳で仏典では「楽を与えること」、悲はカルナ―(呻き)の訳、同じく「他人の苦しみを自らの苦しみとすること、また苦を取り去ること」である。

 つまり仏の大慈大悲とは仏境涯より発せられる衆生済度の慈悲心で、古来より水の高きより低きにつくが如く、招かずともやってきて真の友のように積極的に無縁の大慈悲心をもって衆生を教化する「不請の勝友」のことである。禅仏教では「無辺の慈悲」といわれる。

 

 「無縁の慈悲」

 しかし一方で、佛教では「人の福を求むるを制する事」が説かれているが、これは一体どういうことなのでしょうか?という直義の問いである。

 福といえば禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやって来る。(史記―南越伝)とか、禍福門なし唯人の招く所、幸福と不幸は、やってくる門があらかじめ決まっている。(春秋左伝)ともいう。つまり直義が採り上げた「福」は禍福の福である、もちろん福には裏に「禍」が潜んでいる。

 余談ながら、新自由主義、強欲資本主義、グローバリズム、最先端技術の悪用で猫も杓子も化石燃料を燃やし続けた挙句の一極集中三密世界が数日にして未知のウイルスのパンデミックに暗転してしまう。二千年の歴史を誇る日出ずる天子の国・我国もこの際、災い転じて正に福となさなければならない。

 直義のいう福とは、現代では幸福乃至福を求める心である。類語に災難と幸福、不運と幸運、吉兆、慶弔。などが挙げられるように。結局明暗、表裏、迷悟の片方の一面である。辞書には文例として「禍福を壇(ほしいまま)にする」がある、意味は権威を濫用して、勝手に人を賞したり、退けたり引き上げたりすることであるとか、洋の東西古今、相も変わらない上役のパワハラであるが、人の禍福、人事がその手段ともなるようではこれは良くも悪くも他人事ではない。最悪である。

 とにかく人が幸福を追求するのは現代でもその権利は憲法で保証されているところである。それを制する、抑え押しとどめよというのである。

(つづく)

 

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