コロナ・パンデミックと禅

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コロナ・パンデミックと禅

丸川春潭

 皆さま、未曾有のコロナ・パンデミックが吹き荒れていますが、如何お過ごしですか? おそらく皆さまは居士禅者としてしっかり自分の責任を果たしつつ、ますます道心堅固にご精進のことと拝察致しております。

 こういう時こそ、しっかり座りましょうとの趣旨のブログを書いておりましたら、総裁千鈞庵霞山老師が「禅者の日常〜独坐大雄峯〜」のブログを今朝投稿されました。お読みになられたと思いますが、簡潔にして明快な時宜を得たブログです。

 重複は避けつつ、しかしこの方向性を保ちつつもう少しこういう時期だからこそ感じたことを申し上げておきたいと思います。

 テレビ等での専門家や識者がコロナに対して色々云われていますが、心にとまったコメントを一つ紹介したいと思います。それは様々な情報に反応して怯えるのではなく、コロナを「正しく恐れよ!」というコメントでした。これは感情的ではなく科学的に考えて冷静に対処すべしと云うことであり、その通りだと思います。「人間禅は迷信を説かず科学に違背することなく堂々と如是法を挙揚し合掌して・・・」にあるように、風評に惑わされることなく、科学的に合理的に判断して対処することができる在家禅集団です。密閉・密集・密接は判りやすいキャッチフレーズですが若干あいまいで大まか過ぎます。もう少し科学的に要約すると、会話とか咳とかの場合の飛沫感染を恐れることであり、加えて感染者が触れた可能性のある部分(電車のつり革、ドアのノブ等)にはウイルスが残存している可能性があるのでそれを恐れよということです。

 人間禅の第三世総裁磨甎庵劫石老師から学生時代にお伺いしたことですが、禅の修行は黙に徹するべきであり、古来 修行者は口の周りが白くなるくらいでないと駄目だ!と。黙って座っていたら口の周りが白くなるのか!? と意外に思い覚えています。確かに、摂心会は板木(ばんぎ)、柝(たく)、引磬(いんきん)、鈴(れい)を用い、言葉ではなく黙々と集団行動が取られて行事が制御されています。したがって密集しても言葉がなければ飛沫感染はなく、各自が手洗いを励行すれば静座会などは、基本的には集会として人は集まっても都会の買物だとか交通機関より余程 安心安全な場所です。摂心会の場合にも基本的には黙の修行ですから静座会に準じますが、問題は参禅の時でしょう。なぜなら問答が付きものですから、したがって対策工夫が必要になります。これはコロナにかかわらず通常のインフルエンザ時でも同じことですが、公案の拈呈(ねんてい:公案を唱えること)は師家に聞こえる程度の声でいいのですが、初心者の中には見解(けんげ:自分の見解を師家に向かって呈すること)を呈するように公案を大音声で唱える人が時々います。これはこの際趣旨を説明して声量を下げさせる必要があります。

 そして全般的に、自分が症状は出ていなくても、感染している可能性を考えて行動することが必要です。例えば、人からうつされるからではなく他人にうつさないためのマスク着用とか手洗いの励行は、日常生活はもとより静座会だとか摂心会に参加する時の基本的マナーと考えます。禅者であればこそこういう配慮ができるはずです。

 禅の修行は、自分のためだけのものではなく、また世代を超えた断続するべからざる継続し積み上げする事項です。過度に心配することなく正しく対処して事に当たることが大切です。まさにこういう事態こそ黙に徹し、また他者を常に大切にする自分のマナーを身に付ける機会として、粛々と法の挙揚をし修行を続けて行きたいものです。そしていろいろの環境条件で静座会とか摂心会ができなくなったところは、千鈞庵老師のブログの「禅者の日常〜独坐大雄峯〜」でしっかり三昧力を磨くべしです。

 

芭蕉 菖蒲の句

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芭蕉 菖蒲の句

杉山呼龍

 

 あやめ草 足に結(むすば)ん草鞋(わらじ)の緒

 

 これは芭蕉が仙台で詠んだ句である。「上野・谷中の花の梢、またいつかは、と心細し」と、芭蕉は、弥生の27日に江戸を立ち、元禄2年5月4日仙台に入った。曽良日記には「若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也」とある。

 若林川とは今の広瀬川、長町は仙台道場のとなりにある町で、現在では高層マンションが立ち並ぶ新興住宅地。芭蕉は、談林派俳人、大淀三千風に会おうとしたが、会えず、その弟子で俳諧書林を営む画工、加衛門に会い、一日中仙台を案内してもらうことになった。この人物も和風軒加之という名前を持つ俳人である。芭蕉が案内された中に薬師堂という建物があり、伊達政宗によって造営され現在も残っている。

 そこに芭蕉のこの句が彫られている句碑がある。芭蕉は、加衛門から餞別として紺色の染緒の付いた草鞋二足その他をもらった。紺の染緒はあやめに見立てたものであろう。当時あやめは、端午の節句には魔除けとして、軒に挿してかざしたり、身体につけることもあったという。芭蕉は、その心ばえを賛嘆して「風流のしれもの ここに至りてその実を顕す」としてこの句を『おくの細道』に載せている。

 

(安や免草足尓結ん屮鞋の緒 芭蕉翁)

 

禅者の日常 〜独坐大雄峯〜

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禅者の日常 〜独坐大雄峯〜

佐瀬霞山

 昨今の新型コロナウイルスによる世界各地での感染は、終息が見えない状況のなか、日本の公共施設は休館に追い込まれ、会場をお借りして開催している静坐会も中止となっています。

 2020年3月30日現在、人間禅の関係者で感染の報告はありませんが、皆で集まって座禅をすることは困難な状況にあります。しかし、このようなときも普段と変わらずに毎日自宅で座ることが大切だと私は思います。

 また、本当の力がつくのは、一人で確り座るときだと思います。

 大変なときにこそ確り座禅する心構えが大切です。

 場所は異なりますが、皆で一緒に毎日座りましょう。

霞山拝

 

知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その2)

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知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その2)

丸川春潭

 昨日(令和2年3月16日)、表題の裁判において植松被告に死刑判決が出されました。この事件は2016年7月に起きた殺人事件ですが、この事件は日常茶飯事に起きている殺人事件とは大きく異なる性格を持っており、この裁判には少なからず関心を持ち続けていました。そしてこの裁判の特異点の一つを前報のブログ(その1)でお話ししました。

 この裁判でもう一つの小生が特異だと思っていることがあり、それについて(その2)としてお話しします。それは、死亡した19人を含む被害者48人中47人の氏名が秘匿されてアルファベットの記号で裁判が審理されたことであります。

 この秘匿しなければならなくなった家族の心情の要因の一つに、重度精神障害者として社会的にレッテルを貼られ取り扱われることを避けたいという当事者の気持ちがあったものと推察します。すなわち社会に対する一般的な恥ずかしいという思いからであります。これが氏名を秘匿することになった全ての要因とは思いませんが、その一つであることは間違いないと思います。そしてこういう心情になるのは当事者の責任ではむしろなく、社会全体の責任であると考えます。社会全体が当事者にそう考えるようにさせていると考えるべきでしょう。これはまさに世の中の多くの人の心の片隅に、植松被告と同じ考え方(役に立たない人間は、社会的お荷物であると云う考え方)があるということです。

 すなわちこの名前を隠したいという心情は、前報(その1)で申したことと軌を一にすることと考えます。どんな重度精神障害者であろうと社会的に役に立たない存在であろうと全ての人間には等しく「本来の面目」を宿していると云う観点がないから、こういう心情が生じてくるのです。もちろん当事者のみならず社会全体にこの視点が薄いと云うことで当事者も同じ色に染まってしまっているということです。

 どんな人間も卑下するものは本来なにもないのであり、全ての人が自己の存在を胸を張って生きて行けなくてはならないのです。そういう社会的風土の醸成こそが必要なのです。この方向は取りも直さず世界楽土建設の道に他ならないのであり、まさにわれわれのやらねばならない使命であります。少しずつでもこの風土づくりを各支部・各禅会の足下から広げて行かねばならないのです。

 植松被告に対して根本的に反論でき、更に機会があれば本人を間違いであったと納得させるだけのポテンシャルと力を社会的に持ちたいものであります。人間禅の布教と教宣の拡大はそのためにやっているのであり、二度と植松被告のような若者を出さないためにやっているのです。根本的反論ができる見性の眼を具する人を一人でも社会に送り出し、人間の尊厳を根本的に認める社会風土を醸成するためであります。以上、ヤマユリ園事件の判決の反響を見て感じたことであります。(終)

 

知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その1)

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知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その1)

丸川春潭

 昨日(令和2年3月16日)、表題の裁判において植松被告に死刑判決が出されました。この事件は2016年7月に起きた殺人事件ですが、この事件は日常茶飯事に起きている殺人事件とは大きく異なる性格を持っており、この裁判には少なからず関心を持ち続けていました。

 特異点の一つは、本人が本件の殺人行為を正当化する考えを確信して持ち続けていることです。本人は、「意思の疎通の取れない重度障害者は人間ではない。」「重度障害者は社会の役に立っていない。」「不幸を生む重度障害者は必要ない。」「お金と時間の無駄。」と言い続けて来ての確信犯行です。

 昨日の裁判結果を踏まえてのテレビ報道を見ていて思ったことは、人の命の尊さに対する認識が浅く皮相的であると思いました。これは単に植松被告だけでなく、裁判に関わっている人も、これを報道している人も、感想を述べている市井の人達を含む社会通念全体が皮相的であると思ったのです。

 すなわち植松被告の考え方に対する根本的に反論できる人がいないという思いです。単に障害の有無にかかわらず人間の基本的人権は尊ばれなければならないという教科書的な社会通念だけでは、植松被告の考えを根本的に打破することになりません。そして多くの人が死刑は妥当であるという感想の中で一人だけ、被告が殺人をしたことに対して死刑を求刑することに矛盾があることをぽろっと漏らした人がいました。全く目立たないものでほとんどの人が聞き逃していると思うのですが、小生も同じ思いであり良く覚えています。

 植松被告に対する死刑判決は当然だとほとんどの人が思っている。小生もそうなるだろうとは当然思っていましたが、これが正しいのかとなると言い切れないものを感ずるのです。重度障害者にも人間の尊厳があり尊ぶべき命があると同じ考え方で、極悪非道の人間にも同じように尊ぶべき命が同じようにあるのではないかと云う疑問が残るのです。ですが今回の裁判では、社会全体としての意思を代表して裁判官が極悪非道の人間の命は尊ぶ必要無しと判断したのです。ここに植松被告の考え方に真正面から反論し得ていない皮相さを感ずるのです。

 重度精神障害によって意思の疎通ができなくても、社会の役に立てなくても、社会的にはまさにお荷物でしかなくても、人間としての尊厳を100%認める視点は、相対樹思考では不可能であり絶対樹思考にならなければできない。禅でいう「本来の面目」(絶対の自己)が全ての人に備わっているという悟りの視点がなければ出てこない見方です。「本来の面目」を全ての人に見る視点に立てば、極悪非道の罪人に対しても同じように見るべきであり、死刑判決をそんなに簡単に是認して良いのかという疑問が出てきてしかるべきと思うのです。

 先月2月の豊橋禅会摂心会の講演会で中川香水禅子が「検事と禅」について講演されました。人間観に関する鋭い問題提起がなされ感銘を受けましたが、今回の裁判とも関連があるので思い出しました。この講演の中で、「罪を憎んで人を憎まず」と云うことにも触れられていました。この「罪を憎んで人を憎まず」と云う言葉は、相対樹では解がありません。絶対樹に踏み込まなければ判らないものです。しかし現実に自分の家族が殺した人を憎まずと言い切れるかというと、いくら絶対樹に踏み込んでいても容易なことではない。

 また豊橋での香水禅子の講演の中には、お釈迦様と極悪非道のアングリマーラの話も引用されていました。非道をしたアングリマーラに対する村人の仕打ちをお釈迦様は肯定しアングリマーラに受忍しなさいと云う説話の紹介でしたが、ここに「罪を憎んで人を憎まず」を考える手がかりがあると思います。すなわち罪を償えという教えですが、その償いが死を以て償えということにはなってはいません。ここが考えどころです。(つづく)

 (参考)中川香水禅子の「検事と禅」の要約が、人間禅HPのブログに連載されていますので興味ある方は参照して下さい。

 

「担当師家挨拶」熱海岳南支部創立80周年記念式典にて

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「担当師家挨拶」

熱海岳南支部創立80周年記念式典にて

 

 本日ここに岳南支部80周年記念式典を目出度く迎えることが出来ましたことを道友の皆様とともに心から法喜禅悦に存じます。本日はまたご来賓の方々、総裁老師、名誉総裁老師、各老師方、他支部禅会員の方々お忙しい中、ご臨席賜り、大変喜びに堪えません。

 さて、岳南支部の80年は、顧みますと人間禅教団30周年史にも記述がございますが、昭和八年五月七日、現支部長至山居士の祖父に当たられる、間瀬康雄氏・後の活水居士、佐藤国造氏・同邯鄲居士、渡辺知氏・同湘水居士、高橋敏郎氏・同氷輪居士、遠藤幾之助氏・同斗南居士らが人間禅の前身である両忘禅協会の師家・立田英山老居士を両忘庵釈宗活老師のご名代として網代・善修院にお招きして、法話会「仏教の精神について」を開催したのが始まりでした。

 その後、法話は般若心経・観音経・坐禅和讃・勝鬘経とつづき、その謦咳に接した者は、男女約四十名に達したといいます。

 その六年後の昭和十四年七月二十一日、第一回摂心会が善修院で開催され、爾来八十年でございます。

 耕雲庵立田英山老大師は昭和十四年より、昭和十六年の第二次世界大戦開戦より、昭和二十年の終戦までの、日本及び岳南支部にとっては存亡の危機とその後の人間禅創立を含む激動の四年間を経て、第十五回摂心会までの十六年間をご担当いただきました。

 第十六回摂心会より会場を網代善修院より、長谷観音に移し磨甎庵劫石老師に引き継がれました。

 その後、昭和五十二年九月、第七十七回摂心会より澄徹庵月桂老師がご担当になり、平成二年には支部創立より五十一年にして、待望の岳南道場が落慶しております。

 その後、更に三十年、五人の師家が担当され、大法を挙揚されて来ました。

 法爾庵潤風老師、徳猶庵信堂老師、葆光庵春潭老師、蔵六庵常明老師であります。

 摂心会では耕雲庵英山老大師の第一回より数えて、今回の葆光庵名誉総裁老師ご担当の創立八十周年記念摂心会は実に通算二百九回を数えます。

 当岳南支部の今日がありますのはひとえに耕雲庵英山老大師が熱海市網代町の有志青年の為に法話会という種を蒔かれたお蔭であります。

 その種が芽を出し、双葉となり、葉を繁らせて、五十年の風雪に耐え、更に枝を張り、ついに岳南禅道場という大輪の花を咲かせたのであります。

 その後更に三十年、改元なった令和元年度の本日三月一日、八十周年の実りの時とはいえ、春未だ浅く、その果実はわずかで、それぞれ未熟非力でありますが、令和七年の八十五年周年までには、実働会員十五名を回復して、歴代の先輩がたのご鴻恩に報いる所存であります。地域への道場解放、さらに道友の輪は地元熱海・伊東から西の伊豆の国・裾野市・富士市・三島・静岡へと雄峰富士の麓一帯に拡げるべく、岳南道場の天地は今日のうららかな春の如く開けているのであります。

 人間禅は正しく楽しく仲の良い家庭であるとしております。その人間禅発祥の地としての一翼を我々は担っているんだという自覚と自信をもって、共に世界楽土建設に向かって歩を進めていく事をお誓い申し上げ、甚だ簡単ではありますが担当師家挨拶に代えさせていただきます。

粕谷要道 合掌

 

修行の階梯と数息観の深度

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修行の階梯と数息観の深度

丸川春潭

 令和2年2月の東京支部摂心会の講演として、もう一つ「修行の階梯と数息観の深度」について話して欲しいという要望がありました。このブログはその講演の要約のつもりで認めます。

 修行の階梯には古くから、見性入理・見性悟道・見性了々と三段階が言い伝えられてきています。また江戸時代の白隠慧鶴禅師はこれをもっと細かく仕分けて、法身・機関・言詮・難透難解・十重禁・末期向上とされています。人間禅では耕雲庵英山老師が、地大級・水大級・火大級・風大級・空大級・識大級・師家分上の7階級に制定されました。

 これらの修行の階梯と数息観の深度の関係はどうかという質問は、聞きたい所以はよく判りますが、なかなか答えにくいものがあります。すなわち一般的には両方ともうたた入ればうたた深く、うたた登ればうたた高いものではありますが、両者の一般的な関連はないといった方が正しいというものでしょう。

 そう言ってしまうとこれで終わりですので、一つの事例として小生の場合を思い出しながらお話ししてみます。17〜18歳の時に高等学校の水島古藤先生に連れられてその当時の人間禅中国支部(現岡山支部)の摂心会に連れて行かれて、耕雲庵英山老師に初めてお目に掛かり、19歳の秋に入門し、翌年の春に初関透過を耕雲庵英山老師の下で許されたのですが、その頃は月例会に出たときだけは座禅し数息観をしていましたが、一日一炷香は全くやっていませんでした。すなわち数息観の深度はほとんどゼロでした。入門したときの摂心会は大学の行事があって入門して1,2回参禅しただけで下山してしまいました。翌年の春休みは先ず神戸での阪神支部の摂心会(磨甎庵劫石老師主宰)に1週間詰め切りで参加し、円了して神戸から岡山に帰ったのですが、親元の実家には帰らず、その足で耕雲庵英山老師主宰の中国支部摂心会に参加しました。摂心会の梯子をして岡山の摂心会の三日目くらい(阪神支部から数えれば10日くらい)に見性したのです。すなわち初関透過は、数息観の修練をそれほど積まなくてもしっかり摂心会に詰めさえすれば可能だったという一事例です。

 その後の進級は不確かですが、火大級が10年後の30歳、風大級が10年後の40歳前後、空大級が50歳手前、識大級が55歳頃、師家分上が64歳頃です。これに対して、数息観の深度は60歳頃すなわち200則の公案が終わった頃は、数息観評点で70点くらいでした。一炷香45分の最後の5分か3分くらいになってやっと1から10までの一念不生ができだしたのを覚えています。すなわち70点までになるのに小生は40年かかったということです。その間、耕雲庵老師が、妙峰庵老師が、磨甎庵老師が、一日一炷香が大切だと異口同音に耳にたこができるほど聞かされていましたから、結構真面目に一日一炷香はやっていたのにこの程度でした。ただこの時期は未だ数息観の評点付けを始める前でしたので、数息観を日進月歩で深めるんだという強い意志はそれほどなく、師家にぶつかっていって公案を透過しようという意識の方が強かった時期だったと思います。しかし公案修行が一通り終えてからの10年くらいの数息観の深まりはめざましいものでした。修行の最大課題が公案透過から数息観を深めるということに変わったということもあり、公案修行よりももっと骨折ったと云っても良いくらい数息観にそれ以降は苦労しました。その為もあって数息観の深度を深めるために数息観評点付けを始めたのもこの頃からでした。70点から75点に深めるのに大変な苦労をしたのは覚えています。75点以上の数息観の進みにも骨折りはありましたが若干は楽しむというのか余裕で年と共に数息観が段々と深まって行っています。

 本題に帰って、修行の階梯と数息観の深度の関係で小生の実際の経緯から考えると、200則の公案透過には70点レベルの数息観深度でも行けたということが一つは云えます。ただこれは小生の事例であって理想的なモデルでは決して無いと思っています。もっと修行の階梯と数息観の深度が比例して進むのが本道だと思います。しかし公案修行が済んでから数息観の深度をしっかり進めたということと、数息観の深度が深まってから透過した公案を自分だけで見直しすることで禅の深さと醍醐味をしっかり味わえたと云うことを考えると、小生のようなタイプもありかなとも思います。歴史的に見ても、大応国師の法嗣の大燈国師の事例では、数年の公案修行で嗣法しその後に20年の聖胎長養を命じているのもタイプとしては似ているかも知れません。

 修行の階梯と数息観の深度との階梯は様々なタイプがあるので、一概には云えないと云うことですが、目的地は同じですので自分流に進んだら良いということでしょう。強いていえば、数息観の深度は早く付けたに超したことはないし、数息観の深度は間違いなく公案修行の進行に好影響はあるということは云うまでもないことです。ご精進下さい。合掌

 

自利と利他

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自利と利他

丸川春潭

 令和2年2月の東京支部摂心会の講演として「自利と利他」について話して欲しいという要望がありお話ししました。このブログはその要約のつもりで認めます。

 先ず自利というものは、自分の人格形成・人間形成を図る行為であり、利他は他人の人格形成・人間形成を図るのを助ける行為と定義しておきましょう。

 自分が食べたものが美味しいと感動したら、これを周りの人に食べさせてあげたいと思うのは人間としての本能だと思います。自利の実践した結果を振り返って良かったと感動したら、自然と周りの人にこの感動体験を勧めるのが本能であり、この行為が利他になるのです。

 したがって、利他は自利と繋がっているという考えが、この話の骨子になります。すなわち、自利と繋がっていない他に対する働きかけは利他とは云えないと考えています。自利と繋がらない他人への働きかけは、お節介とか押しつけであり、またそれが上から目線の場合は指導・教導と呼ばれるべきと考えます。

 もちろん指導を受けたりお節介をしていただいたお陰で、人間形成への道にご縁が出来たり、行き詰まりを打開できたりすることはよくあることであり、利他でなければならないと云うことではありません。

 ただ云えることは、利他行をしなさいと勧めるのは本来的に云えば筋違いなことです。利他行は、あくまで自利から自然に湧き出てくるものです。

 客観的に、利他行が全く出来ていない人がいますが、こういう人は自利で本当に良かったという感動が少なく弱い場合ではないかと思います。人間形成というものは、自分の殻を破り目から鱗が落ちるもので、それが破られる前には師家に参じても振られるだけで苦しいものです。しかしそこの百尺の竿頭の先に一歩踏み出すことによって愕然と殻を破るものであり、このときの快哉はこの修行をしてきて良かったと人によって強弱はありますが例外なく思うものです。したがって強弱はありますが、人間形成の禅の修行を継続している人は遅かれ早かれ何度かはこの自利の喜びが必ずあるものであり、したがって例外なくそこから利他心が生じ利他行が出てくるものです。

 ただこれは公式図式であり実際にはいろいろな形があると思います。小生の場合の自利と利他の事例を参考までに申し上げますと、入門したのが大学1年の秋、見性したのが翌年の3月末でいずれも中国支部(現岡山支部)耕雲庵英山老師でした。大学の同級生の三上栄子さん(現、家内の鶯林庵玉淵)を阪神支部の例会に誘ったのが2年生の秋?で、彼女が入門したのが大学3年の夏休み、見性したのが4年の夏休みで場所はいずれも房総支部主催の長野県飯田市長久寺で磨甎庵劫石老師でした。これが小生の最初の利他行でしょう。

 次は、昭和38年4月住金和歌山製鉄所に入社してからで、1年くらい経ってから社宅に同期の友人や職場の同僚を誘って座禅を一緒にしました。自分の一日一炷香を確実にする効果は間違いなくあります。この輪が広がり2、3年くらいしたら座禅会になり、いろいろな場所を借りて座禅会を月例でするようになりました。5,6年した時点で座禅会の仲間と一緒に和歌山市内のお寺を中心に座禅会場探しを20数カ所やり、窓誉寺にたどり着き、和尚と意気投合して週例静座会がやれるようになりました。会場確保の後に磨甎庵劫石老師にお願いして参禅会(内参会)をやりつつ入門者が増えてきた時点で、阪神支部の和歌山分会(南海禅会)となり、昭和45年には修禅会を開催し、その後の南海支部創立の起点となりました。これが一連になりますが結果として第二の利他行になったと思います。三番目が和歌山在住9年で茨城県の鹿島製鉄所への転勤となり、社宅での身の回の同僚や後輩を誘っての座禅の友づくりが始り、これが坂東支部(現茨城支部)に発展して行くのですが、詳細は割愛します。

 これらは要するに、自利の感動を周りの人に勧めるというよりは、自利の感動を長く続けより大きくするために周りの人に声を掛けたという感じがします。もちろんその人のために勧めるという気持ちも間違いなくありますが、自利のつづきに利他がくっついているというのが小生の場合の実態であったと振り返って反省しています。自利を離れて利他はないのですが、利他行は百人百様の形があると思われます。合掌

 

坐禅を志す君に

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坐禅を志す君に「一日一炷香」を!

井本光蓮

 坐禅の修行は、とにかく、数息観(※註1)の時は数息観に成りきれ、公案(※註2)工夫の時は公案に成りきれと云われる。しかも「一日一炷香」と云って、毎日線香1本分(約45分間)を坐れと云われる。つまり「成り切る」ことと、「続ける」ことは、車の両輪なのだ。一つでもむつかしいことを、二つ同時に要求される。だが、この二つの事は、それぞれ別の事だろうか?

 先ず、「続ける」ということが如何に大切であるかは、多少とも剣道や茶道などを稽古した人なら誰でも知っているだろう。その「続ける」ということを煎じ詰めると、結局は一念一念を相続(持続)するということになる。

 「念々正念」という言葉があり、その深い意味に今は触れないが、この言葉には「成り切る」という意味と「続ける」という両方の意味がある。成り切れなければ続かないし、続けなければ成り切れないのだ。

 折角坐禅に志したのだ。頑張って石にかじりついても、「一日一炷香」を続けよう! そうすれば、三昧(※註3)(成り切る)の境地は、君の骨折りに正比例して必ずや君のものとなるだろう。そして遂には転迷開悟の実を挙げて、僕らの理想である「念々正念」の境地に、一歩でも半歩でも近づこうではないか。心の底からそう願っている。

 

 註1 数息観:坐禅を組んで静かに自分の息を数える。印度で古くから行われた観法で、それが仏教と共に中国へ日本へと伝えられた心身の鍛錬法。

 註2 公 案:入門して師家から修行者に授けられる転迷開悟のための問題。

 註3 三 昧:三昧には、第一に心を一事に集中してみだりに散乱させぬ働き、第二に病気の我が子を看病する母親のように、自と他が一枚になる働き、第三に「風疎竹に来る、風去って竹声をとどめず」の句のように、外界の刺激を正しく受納し、しかもその刺激が去れば後にいささかの痕跡もとどめぬ働きがある。

 

惟精です。

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令和2年2月13日 毎週木曜日 18時30分〜19時30分 柔道場 

内原静座会 5名(会員3、名誉会員1、学生1)

ちょっと暖かくなりました。偕楽園の南崖は梅が咲いて「梅まつり」にいます。

内原静座会は21年目になります。責任者は惟精から、ここ2年は日本農業実践学園学園長籾山先生になり、籾山先生は入会しました。静座後に法定の形をやりますので、そちらが目的の人も来て静座をします。学園の生徒、他学校の研修生が時々参加します。

 

2月14日

水戸静座会 4名(会員1、女性2、女性新到1)

毎週金曜日15時〜16時30分(休止はHPをご覧ください) 神応寺本堂

水戸静座会は42年目になります。亡くなりましたが慈香庵梅屋老居士、稲葉青嵐居士が始めたものです。慈香庵老居士と神応寺のご住職が友達であったので、今でも本堂を拝借しております。私が高校教員でしたので、受験をひかえた生徒がぞくぞくと静座をして帰りました。今は生徒との接触がないので、学生は来ません。

現在は時間を短くし、座布団と椅子の静座と両方をやって、家で続けられるようにと思っています。静座後立ち話などをしましたが、無言でシーンとして終わっても人間のつながりができませんので、裏千家 盆略手前で私がお茶をたてております。お茶で身体が温まり、おいしいと喜ばれています。

 

益子(栃木県)静座会

当地の人が外国に長期研修ですので、帰国次第「静座とお茶の勉強会」を再開します。

またね。