定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第一章
定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅
笹良風操
第一章 強きを挫き弱きを助く
清水港の名物はお茶の香りと男伊達
見たか聞いたかあの啖呵 粋な小政の 粋な小政の旅姿 (旅姿三人男)
先日中津市郊外の太平楽温泉に老人会の催しで参りました。温泉入浴と芝居見物がセットになっておりまして、入浴のあとご馳走を食べながら芝居見物を致しました。
芝居は股旅もので清水次郎長の話でありました。大衆演劇には必ず次郎長の物語が登場するのが日本であります。
今では清水の次郎長といいましても若い方には知らない人も多いのですが、年寄り世代では知らない人の無い有名人でありました。
映画も数多く作られ200本以上作られていると思います。戦前は講談と浪花節が盛んでありまして、講談では神田伯山という方がこの次郎長の話を数多く語っておりその弟子の広沢虎造という方が神田伯山の語りを覚えまして、これを浪花節に直して公演しましたところ大変な人気で広沢虎造の次郎長傳は一世を風靡するほどの評判を得たのであります。
広沢虎造の森の石松の物語り、船の中での会話で清水一家で誰が一番強いかという話は石松が褒められるたびに、飲みねえ、食いねえと褒める旅人に酒肴を勧め、挙句の果てに石松あいつは強いけど馬鹿だと言われてしまう話は何回聞いても面白い話でした。
私が小学生のころ(1941年頃)少年講談という本が講談社から出版されましてその中に「清水の次郎長」というのがあり私はこれを大変愛読しました。
清水の次郎長という人は任侠の人、つまり強きを挫き弱きを助く人ということで、当時ヒョロヒョロの青瓢箪だった私は格好いいなあと憧れたものでした。
今の世の中、いじめが流行っておりますが、次郎長の哲学には弱い者いじめはありません。弱い者の味方になって強い奴に向かって行くという精神がありました。その精神は当時の子供の世界にも浸透していまして、今のように強い奴に迎合していじめに加わることは少なかったように思います。
今の子供たちにこの精神を持って貰いたいと思うことです。
小さい時に受けた強い印象は大きくなっても抜けません。会社に入りましても権力を振り回す上役にへつらうことが苦手で、弱い部下を水面下で助けておりました。
清水の次郎長の話は生き生きしている。血沸き肉躍る痛快な場面が多い。男らしい、度胸が良い、胸がすくようだ。ということで大衆に受け入れられ沢山の映画や小説になったのであります。
これら次郎長の物語のもとになったのは天田五郎(後に禅僧となり愚庵と称す)という人の書いた「東海遊侠傳」であります。
夏草や
夏草や
杉山呼龍
奥州藤原氏は、清衡、基衡、秀衡の三代で栄耀栄華を誇ったのも、平安時代後期の約百年であった。四代康衡の時代に、頼朝から逃れてかくまっていた源義経を滅ぼし、泰衡自身もその後、その命令を実行するのが遅いという理由を付けられて頼朝に攻め滅ぼされた。芭蕉はこう書いている(奥の細道)。
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先ず高館(たかだち)に登れば、北上川南部より流るゝ大河也。
芭蕉の登った高館(たかだち)とは中尊寺山門の近くにある小高い山で、義経主従がたてこもっていた場所である。現在は余り人が訪れないが名所となっている。その景色は北上川が一望に見渡せる東北随一の絶景といえるだろう。遠くには西行が桜を詠んだ束稲山(たばしねやま)が見える。芭蕉は
さても義臣すぐって此城にこもり、巧名一時の叢となる。
と言っているが、「義臣」とは、義経の忠臣、弁慶や兼房である。弁慶は歌舞伎「勧進帳」が余りにも有名である。芭蕉は主に悲劇の英雄、義経に思いを馳せていたのだ。さらに杜甫の詩を引用して感慨に耽っている。
国破れて山河あり城春にして草 青みたり、と笠うち敷きて時のうつるまで泪を落とし侍りぬ
この有名な俳句はこの感慨を詠ったものだ。
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
(写真は高館(たかだち)から北上川を望む)
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