定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第三章
定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅
笹良風操
第三章 次郎長の略歴
次郎長は江戸時代末期1820年1月1日の生まれ。父は船持船頭の高木三寿郎通称雲見ず三衛門、母はとよであります。4人兄弟の末子で元旦生まれは極悪人か賢人になるという俗説を憂い赤子のまま実母とよの弟の米穀商山本治郎八(甲田屋)の養子となります。名を長五郎といい,次郎八の所の長というところから次郎長の通称で呼ばれるようになりました。小さい頃は手の付けられないガキ大将、寺子屋では暴れまくって全く勉強しない。破門、次に上清水の禅叢寺で学ばせるがこれまた破門、この禅叢寺は臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師が最初に入った由緒ある寺で後年次郎長が鉄舟の下で禅修行するその機縁はこの時に養われていたのであります。
次郎長は鉄舟に「小さい頃寺にいた頃のことが思い出されてならない。何故禅寺でお坊さんが修行しているのか?何故座禅しているのか?という疑問がいつもあった」と語り鉄舟を驚かせます。
子供の時お寺や禅道場に連れてくることは後に大きな実を結ぶことがあることをこの話が示しています。
とにかく次郎長の腕白ぶりは桁外れで親類四軒がたらい回しに預かって次郎長の教育に当たったということです。
次郎長22才の時この頃は親父のあとを継ぎ真面目に商売していましたが、4人組の強盗に襲われます。体格良く腕っ節に自信のある次郎長は4人を相手に戦い、撃退しますが捕えることは出来ず自らも負傷します。この時いつ自分も死ぬか分からないと思ったようです。そう思っていた頃たまたま人相を見る行脚の僧と出会います。その僧曰く「惜しいかな貴方の命は25才まで」と予言、その一言で「算盤片手に帳面をつける暮らしをしておられるか、太く短い俺の人生、面白可笑しく思いのままに自分流に生きてやろう」と決断、任侠道に足を踏み入れることになったといいます。
23才の時ばくちのもつれから大喧嘩になり佐平と小富の二人を打倒し近くを流れる巴川に投げ込んでしまいます。この二人は死なずあとで蘇生しますが、次郎長はテッキリ人殺しをしたと思い込みます。
このまま甲田屋にいては下手人として死罪、家財産は没収、親類縁者にも災いが及ぶ。こうなったら公の世界とは無縁になって無宿人に落ちる以外に道はないと速断。甲田屋の権利財産を実の姉夫婦に譲り、無宿人の手続きをさせ、兄弟分の大熊と庵原の広吉の3人で清水湊をあとにしたのであります。
これから後は本当の無宿人暮らしで喧嘩やばくちで役人に追われては逃げる。追われては逃げる生活をながい間つづけることになります。
ばくちはご禁制、つまり刑事罰に相当する不法行為でありますから無宿渡世人はお役人に追われ旅から旅へと渡り歩かねばなりません。
次郎長も旅から旅へと放浪と喧嘩の生活を長いこと送るのでありますが28才の時清水に戻り侠客として一家をかまえます。常に数十人の客人がありそのため貧乏暮らしだったといいます。
次郎長は数多くのチャンバラをしていますがその主なものは
1、次郎長の世話を受けた恩義を忘れお役人に次郎長のことを密告したホゲタの久六を切った。(40才)
2、森の石松を殺した都鳥の吉兵衛を打ち取った.(42才)
3、伊勢荒神山で穴太の徳二郎、黒駒の勝蔵の連合軍と戦う。
この時吉良の仁吉、鉄砲で撃たれ死亡、清水方は大政以下22人
穴太、黒駒連合軍は100人以上と言われるが実質40人
この戦いで清水側は戦死2名重傷4人軽傷9人、22人中15人が戦闘能力を失ったが幸い大政が相手方大将、用心棒の角井門之助を倒したため辛うじて無事退却するに至った。
4、この報復として次郎長は傘下の博徒を大招集し総勢480人鉄砲40丁槍170本精米90俵の大軍団を率い船で伊勢湾を横断し、黒幕の丹波屋伝兵衛を討たんとするけれど伝兵衛は怖れて逃亡し、戦にはなりませんでした。480人の軍団と言えば大変な戦闘能力で、これだけの人員を動員できるところから次郎長は東海道一の大親分といわれたわけです。
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