老師ブログ

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2020.08.04 Tuesday

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第四章

 

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅

笹良風操

第四章    明治維新の頃の次郎長
 清水の次郎長が480人の大軍団を率いて伊勢に入った頃日本国内は大変動、つまり明治維新が進行していました。
 1866年8月第2次征長の役つまり長州を討つ戦争をしますが高杉晋助、大村益次郎等の活躍で幕府軍は敗退します。そして年末に孝明天皇が崩御され、若い明治天皇が即位されます。
 1867年幕府は薩摩,長州に攻撃の名目を与えぬ爲大政奉還をいたします。これにより王政復古の大号令が発せられます。
 しかし徳川慶喜は新政治体制のなかで今でいう総理大臣の地位について政治の実権を握ろうとします。西郷等はそれは困る。幕府を打倒せねば外国の侵略は防げないと思いますが戦いの大義名分がありません。そこで西郷は江戸の薩摩藩邸に幕府が攻撃を仕掛けざるを得ないように仕向けます。つまり薩摩の侍に江戸市中で乱暴狼藉をさせたわけです。勝海舟はその薩摩の乱暴は謀略だから薩摩藩邸を攻撃してはならぬと止めますが血の気の多い連中が薩摩藩邸を襲い焼き討ちします。西郷は「シメタ」とばかりに幕府追討の軍を起こし、鳥羽伏見の戦いで幕府軍を破ります。戊辰戦争の始まりです。
 西郷率いる官軍は東海道、中山道を進撃し江戸総攻撃が始まらんとする時、徳川慶喜の命を受けて山岡鉄舟が官軍の中を通り抜け静岡で西郷隆盛と談判し、江戸城無血開城を決めます。
 江戸を火の海から救ったのは山岡鉄舟だったのです。

 1868年明治元年新政府が発足すると5月次郎長の所に総督府から出頭命令が届きました。差出人は総督府駿河町差配役判事伏谷又作衛門如水でありました。
 伏谷は浜松藩の家老でしたがその手腕を買われ総督府から駿河、遠州、三河の裁判所判事と東海道一帯の司法と行政を総括する差配役を仰せつかっていたのです。
 次郎長は喧嘩で随分人を殺しており、又ご禁制のばくちをしていた身ですから旧悪を咎められるのではないかと恐る恐る出頭します。
 伏谷曰く「大政奉還、政権交代とともに世情騒然として悪事、狼藉を働くものが多い。町人は日々不安な毎日を送っている。ついてはその方を登用して街道筋の府中から江尻、清水の港一帯の探索方を命ずる。」探索方とは警察代行業で実質警察の役目です。
 次郎長は驚き「あっしは無頼の渡世人です。探索などというお役目はとても務まりません。どうぞご勘弁ください。」
 「では今までのその方の行状を読み上げるぞ」と伏谷は次郎長の今迄の経歴を読み上げます。
 これには次郎長閉口したそうです。これはもう言われた通りしなくてはえらいことになると思います。
 伏谷は「以上の通りお前には数々の罪科がある。その方がこれから世の爲人の爲に力を尽くしてくれるのであればこれまでの数々の罪科は免除しよう。その上天下晴れて帯刀を許す名誉も与えよう、どうじゃ、引き受けてくれぬか?」
 こうまで言われては引き受けぬわけにはいきません。こうして今まで役人に追われ裏街道ばかりにいた次郎長が、天下晴れて東海道の治安の爲働くことになったのです。
 これも次郎長の人柄が並々ならぬものがあり清水近辺の町の評判が良かったことからこういうことになったのであります。

 

2020.08.04 Tuesday

座禅と徒然(つれづれ)(6)〜〜静座会・座禅会時のマナー・堂内役位の心得について〜〜

 

座禅と 徒然 ( つれづれ ) (6)

〜〜静座会・座禅会時のマナー・堂内役位の心得について〜〜

丸川春潭

  1. はじめに
  2. 堂内マナーの基本的考え方
  3. 堂内役位の心得の基本
  4. おわりに

 

1. はじめに

 静座会・座禅会と参禅会・摂心会とは、師家が来られて参禅があるかないかが大きな違いですが、それ以外にも基本のマナーとか堂内役位の仕方等において自ずと違いがあるべきです。

 先ず、参禅会等の場合は参禅者主体の運営になるべきであり、静座会では新到者の方により気配りをする運営であるべきです。

 参禅会・摂心会の場合はよく説明も行き届いていますので、静座会時についてここでは説明します。

 

2. 堂内マナーの基本的考え方

 先ずは会の趣旨通り、座禅して集中力・三昧力を付けるために集まっているのですから、それを妨げないように皆が配慮する必要があります。すなわち静寂を保つことが第一です。

 参加する者は、一人で坐るのではなく皆で坐る意義を踏まえておくべきです。すなわち皆で坐る静座会では、一人だけで三昧になることだけではなく、皆で一緒に三昧の場を作ると云う観点を心の片隅に持っておくことが大切です。

 次には、前述したように新到者に配慮することです。新到者に対する配慮は、先ずは良くぞ来ましたね!です。暖かく迎え入れること、そして何も知らないのが当然なので、親切に丁寧に説明し、会に馴染んで貰うことです。古い支部ほど、旧参の者が初めて来た人に対して、文殊に合掌しろ!とか、しゃべるな!とか、大声で衆人の中で注意をすることがままあります。こういうことは静座会ではやってはいけない禁止事項です。

 以下参禅会時の静座の時にも共通する注意事項を二つ取り上げておきます。

(1)呼吸音

 座禅三昧になるために吸う息・吐く息において呼吸音を出す人がたまにいますが、自宅で一人で坐る時はやっても良いですが、皆が集まって坐る時は禁止事項になります。旧参の者でこれをやる人が居ますが、自己中心の傍若無人の振る舞いであり、その人の境涯が疑われる所作です。鼻息を立てない、隣の人に聞こえるような呼吸音は出さないことに気をつけましょう。

(2)放屁

 家内(玉淵)をはじめ女性がこの行為を鋭敏に感じ問題視します。年配の男性はこの問題に鈍感であり、一部の人は自然現象だから気にする人間が悪いくらいに居直っているようでもあり、まま見かけます。フランスでは食事時のゲップと放屁は絶対的禁止事項だそうです。食事の場以上に神聖な静座の場です。これから禅も国際化がますます進みます。そろそろ人間禅のマナーとしてこれは躾として年寄り旧参の者が率先垂範し伝統にしましょう。

 

3. 堂内役位の心得の基本

 はじめにでも書きましたが、静座会と参禅会とは堂内役位の心得が共通点も勿論ありますが、異なる場合も出てきます。

 共通項としては、静寂を保つと云うことが挙げられます。参禅会・摂心会の場合は公案の工夫を妨げない静寂が必要であり、静座会の場合は座禅三昧を深めるために静寂が必要です。

 違いとしては、新到者に配慮する静座会と参禅者を優先する参禅会の違いがあります。

(1)助警の心得

 第一は静寂を保つことを損なわないことに注意するべしです。新到者の姿勢を直すとか座禅三昧を促すための警策を使用する時にも静寂を保ちながらの配慮が大切です。参禅会・摂心会の時もそうですが、意外と助警が静寂を破り、集中を削ぐことがままありますので、厳重注意する必要があります。

 姿勢を直すことについて、助警自身の理想と考える姿勢を無理矢理押しつけるのは良くありません。特に新到者の坐相については、一度に型にはめようとするのではなく、徐々にその人に適した坐相を自分で見つけられるように助けるという基本姿勢が助警の心得です。

 文字の如く「助」からはみ出ると助警失格です。

(2)聖侍の心得

 静座会の聖侍の主任務は、静座の場を神聖に保持することにあります。静座の場への出入りを管理するのもそのひとつであり、例えば静座の場を乱しそうだと思ったら、そういう人は入場を拒否する権限を聖侍は持っているのです。酒気を帯びているとか服装が乱れすぎているとかは人間禅の現状ではありませんが、こういうチェックも聖侍の任務です。

 現在のコロナ禍の状況では、マスクのチェックは聖侍の責任ですし、場内のエアコン管理も聖侍の守備範囲です。

 

4. おわりに

 静座会のあり方は、規矩準縄が厳格であるが前面に出ると新到者には近寄りにくい場になり、いい加減になりすぎると静座の目標である三昧境の建立が出来なくなり、どちらに偏しても良い静座会とは云えません。 和みがあって節度がそれなりにしっとりと具わっている静座会作りが出来ているところは、支部として禅会として発展する要素を持っていると云えましょう。合掌

 

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