定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第六章
定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅
笹良風操
第六章 侠客にも定年が訪れた
次郎長は明治維新になりまして侠客としての生き方はおしまいになってゆくと実感します。
江戸時代には民法が制定されていませんから、近隣の家との境界線の争い、家督の相続の争い、本家分家の争いなど次郎長のような侠客が裁くことがあったのですが、明治政府により法整備が着々と進み家族、地域の揉め事は法に照らして解決されるようになりました。
ばくち打ちの親分が任侠の人として世間から尊敬されるような世の中ではなくなってきたのです。
次郎長は侠客としての生き甲斐を失いその後の人生を如何に生くべきか苦しんでいました。そのような時期に次郎長は幸運にも山岡鉄舟という偉人に出合い、その人生を転換させることが出来たのです。
次郎長は若い時僧侶から手相を観てもらい「寿命が短い。25才で死ぬ」と予言され、それが任侠道に入る動機になったことは前にのべましたが、その時同時にこう言われていたのです。
「この運命を変えるには、非道なことはせぬこと、人の爲に尽くすことじゃ」と言われその言葉が次郎長の心の中にいつもあったといいます。
「私は人を何人も殺してきましたが、決して無実の者や弱い者を殺したことはありません。いやむしろそのような無実の者や弱いものの味方になってきたのは、その時のお坊さんの言葉が頭から離れなかったからだと思います。」
「それは良いことを聞かせて貰った、そのお坊さんがお前さんのお師匠さんだったんだね」
「それに小さい時禅叢寺で和尚さんから聞いた話が奇妙に思い出されるのです」
次郎長は山岡鉄舟に質問します。
「先生、座禅とはどのようなものだね?」
「座禅とはシャボン(石鹸のことを当時こういった)のようなものだよ」
「いったいどうしてシャボンなんだね」
「お釈迦様が悟られた時に分かったのだが、私達の心はこの上なく綺麗なものなんだ。それに垢や汚れがくついているから心の働きがうまくゆかないんだ。座禅はこの垢や汚れを取り除く手段だからシャボンのようなものだと言ったんだ」
「それじゃ座禅をすれば心が綺麗になるのかね?」
「そうとも。座禅ほど心を綺麗にするものは無い。」
「座禅をやって心の垢が落ちるとどうなるのだね?」
「心が清らかになると慈悲の心で人に尽くすことが出来るようになる。この世には他人のためなどということは無い。人に尽くすことはすべて自分の爲になる。若し他人に尽くせばそれは自分の運を良くする。若し他人を傷つければ自分の運が悪くなり不幸になる。結局すべて自分に返ってくるのだ。」
鉄舟はそう言って次の話をした。
江戸時代鎌倉の円覚寺に誠拙周樗という方がおられた。この人間禅は円覚寺の流れですから法の上では人間禅の先祖に当る方です。この方が山門を改修しようとして寄進を募りました。江戸の白木屋という豪商が金百両を持って誠拙に渡しますと誠拙は無造作に「あっそう」と受け取って、有難うとも何も言わない。
さあ白木屋は腹の虫がおさまらない。翌日やってきて「昨日の献金百両は少ないかも知れません。しかし私としては分不相応な精一杯の金額でした。老師も一言くらいねぎらいの言葉をかけて下さっても良いではありませんか?」
すると誠拙は怪訝な顔、不思議そうな顔をして
「お前さんが功徳を積んでお前さんの家が代々繁栄するのに何でわしが礼を言わなくてはならないのか?」といったといいます。
鉄舟はここを解説して
「ここなんだ。仏教では因果応報と言って良いことをすれば良い運が来るんじゃ。だから他人に礼を言われなくても.又恩を返して貰わなくても一向差支え無いと思うべきなのだ。次郎長さんが今日まで立派にやってくることが出来、子分も多く、これだけ世間の評判を揚げることが出来たのは次郎長さんが他人の爲に尽くすことが多かったということが結局自分に返ってきた因果応報の証拠なのだ。」と諭したのであります。
次郎長はこの話を聞いて「自分の人生に鉄舟先生のこの言葉ほど大きな影響を与えたものは無い。」と後年家族に述懐したそうであります。
事実この言葉通りこれ以後の後半生で次郎長は禅で自分の心を磨き社会の爲に尽くす道を歩み出したのであります。
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