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2019.08.16 Friday

座禅と追憶

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座禅と追憶

丸川春潭

 ネット布教のリーダーから、座禅という文字をブログにできるだけ入れるようにといわれましたので、座禅を入れたタイトルにしましたが、昨日の日峰さんの「追憶はいらない」を読んで考えたことは云うまでもありません。できるだけ「座禅」を使います。   

 「追憶」の記憶は薄いのですが、同じような光景で、「カサブランカ」で元カレのハンフリーボガードが、やっと巡り会えた元カノのイングリッドバーグマンが幸せな家庭人になっているのを知って、後ろ向きに手を振って別れる最後のシーンは嗚咽するほど泣きました。男気の美しさ・厳しさ・辛さに感動したのでしょうね。やはり追憶はいらない!でしょう。

 日峰さんの過去を引きずらないで、今に集中するはまさに禅者の正当な着眼です。

 この観点はそれはそれとして、自分にとって返して反省してみて、「追憶もいいものだ!」を天邪鬼的に考えてみたいと思います。

 磨甎庵老師に叱られ100日間参禅不可!をみんなをわざわざ集めて宣告され、3回の摂心会を参禅なしで座禅だけで過ごしたことを夏が来るたび追憶します。

 初恋に破れた青春の追憶もあります。

 自分のせいで人の心を傷つけた悔恨はしばしば追憶してしまいます。

 追憶にはほとんどがつらい追憶なのですが、「追憶もいいものだ!」と思えるのは何故か?です。

 座禅を長く続けていると、追憶しても今に集中するという肝心な点はぴたっとして動かなくなるものです。

 追憶が「今」の足を引っ張ることはない。過去の悔しい自分を肯定的にしっかり受け入れてしかもそれに「今」が引きずられることはない。

 座禅を長く続けることによって自分に定点ができ、過去の追憶を余裕を持って振り返り見られるからでしょうか。

 掛け替えのない二度とない「今の立ち位置」がしっかりしてくるのでしょう。

 座禅的見方は、失敗を繰り返し悔恨を積み重ねた結果としてある現在の自分をそのまま掛け替えのないものとして看ることです。

 それらは失敗であり悔しいことではあるが、忘れたいとは決して思わない。

 それは好きとか嫌いとかではなく貴重なもの、一種の勲章というか財産としてとらえているのかもしれない。

 座禅をすることによって、むしろ過去にいろいろあったものが、今を深く味わいそしてこれからの行動の糧になることもあり得るかなです。

 いろいろ考えを巡らせましたが、今に焦点があるということが肝心であり、この点で日峰さんと結局は同じです。

 お盆休みの昼下がり、忘れてかけている亡き人達の追憶を探すのもいいかな。(了)

 

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