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2019.08.29 Thursday

「座らないから忙しくなる」

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「座らないから忙しくなる」

丸川春潭

 現代は忙しい時代だ!と云う言い方に、ほとんどの人は異論なしでしょう。

 禅会の周辺で、「この頃、忙しいからしっかり座れていない。」という会話が聞かれますし、自分の中での思考も、「忙しいから座れないのも仕方がない。」という屁理屈がまかり通っているようにも思います。

 また一般的にも「忙しい」が社会的に認知され、一種のステータスにまでなっているのが現代社会とも云えます。すなわち忙しい人はよく仕事をしている人であり、忙しくない人は社会的に評価できない的なニュアンスがまかり通っているように思います。

 先ずは、この「忙しい」を禅的に検証しみたいと思います。

 忙しいという字は、立心偏すなわち偏が心で旁(ツクリ)が亡でこの字が構成されている。すなわち心を亡くした状態が忙しいということであり、この字の構成が「忙しい」とはどういうことかを全てを物語っています。

 すなわち現代はこころを失った人が多い時代だということになります。にもかかわらず忙しいと云うことが大きな顔をしてまかり通っているのです。忙しいことは、本来は恥ずかしいことなのに、忙しくないと恥ずかしいというところに、現代の精神的混迷の根源があると思います。

 ではこころを亡くさなかったら忙しくないのか?ということになりますが、もちろんYesです。掲題の「座らないから忙しくなる」は逆説的皮肉ではなく、心を亡くしているから忙しいのであり、心を亡くさなかったら忙しくない!のです。座れば忙しくなくなる!のです。この論旨にYesしますか?

 

 一国の宰相であろうが、定年になって毎日が日曜日の人であろうが、生きている人間にとって使える時間は全く変わらぬ24時間です。やらなければならないことがいくら多くてもこの時間をどう割り振りするか、何を優先にして何を割愛するかというだけの問題です。やらなければならないことができない場合にはどうするかと云うことの判断もそれを割愛することも対処の一つですが、後に回すとか誰かにお願いするのも対処の一つです。

 小生は、忙しいと思ったことはほとんど記憶にありません。少なくともこの数十年はないと思います。サラリーマン時代から人間禅にどっぷりになっている今に到るまで、半分冗談に暇だから何でも云ってくださいよ!で通して来ています。

 小生の対処の仕方において最初に考えるのは、自分しかできないこと・自分がやらなければならないこと・自分がやりたいことを雑多な懸案課題の中から選び、次にそれの処置しなければならない期限を考える。ここまでではあまり重要性については考えません。ただ処置するために時間的に重なる場合や重なる恐れがある場合に重要性の判断をして優先度を決めます。これで24時間以内に入ったことを片っ端から捌いてゆく、というのが最近のやっている実態です。24時間以内に入れなかったことに対しては次の日以降のことでの懸案メモは残すとしても出来なかったという思いはスパッと切ります。

 この一日の課程の中に忙しいという思いは入ってきません。処置し捌いてゆく中で、予想以上に時間が掛かり予定していたことができないことも結構ありますが、出来なかったという事態に対する処置はちゃんと打てば良いことであり、どうしてもやらなければならないことはほぼやれていると思っています。

 朝起きたときと寝る前に座ると云うことにしていますが、これもほぼ(98%以上)できていると思います。できなかった場合で一番多いのは、朝座の時間に面談が飛び込んでくる場合ですが、これも最近は、午前中のどこかで挽回する対応になってきています。宴会があって調子よく飲んでも夜座ができないことはほとんどありません。この朝座と夜座の間に小生の全ての活動が優先順位に従って詰め込まれており、楽しんでやっている訳です。

 特にと云えば、今日やらねばならないことは明日に延ばさないことを心がけています。【禅】誌の巻頭言の原稿が4ヶ月毎にやってきますが、言われた期限を越えたことは未だないと思います。ただ最近老人ぼけで、約束していたことをポロと忘れてしまっていたと云うことが多くなり、皆さんに迷惑をかけているとは思います。

 サラリーマン時代は特に若い下積みの頃は、上からの指示で重要度も優先度も決められ、それだけで仕事がオーバーフローすることもしばしばありましたが、そういう場合は率直に優先度を上司と相談して決めればいいことです。小生は上司も部下も巻き込んで楽しんで仕事をしていましたから、現役時代も忙しいと感じたことがなかったのだろうと思います。

 これらの忙しいという言葉がない背景には禅で云う、段取り・真剣・尻拭いに努めていると云うことと、一行三昧が身に付いてきているのが効いていると思います。前者は法話等で先輩方がよく話されていることでこの解説は割愛し、後者について少し注釈します。

 一行三昧の一行は、今行っていることであり、今やっていることに三昧で打ち込んで行き、その他の念慮を差し挟まないということです。人間は考える葦ですから、何かやっている最中でも過去のことから未来のことから今やっていることと関係のないことについつい思いを馳せたがるものです。一行三昧を純粋に行うことは難しいけれども素晴らしいことです。すなわちこの一行三昧の一日は、忙しいとは無縁になります。

 この一行三昧が出来るようになるのが人間形成の修行なのです。そしてその基本が、一日一炷香にあるのです。少なくとも一炷香(45分)座禅をして、その定力(三昧力)を付けその日一日の一行三昧を実践するのです。

 きちっと一日一炷香が出来れば、一行三昧になり忙しさはなくなる。座らなければ、今やっていることに集中できず忙しくなるのです。重要な仕事にたずさわっている人ほど寸暇を作って座禅をしなければならないのです。座禅をしないから忙しいのであり、座禅をすれば忙しくなくなるのです。

 

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