信と禅(その4)
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信と禅(その4)
丸川春潭
お菓子の続き、白玉椿の姫路から更に東に行って、神戸では、湊川神社の瓦せんべいが思い出されます。父の長兄の叔父さんがいた神戸には父に連れられてよく行ったものです。卵を使ったカステラを瓦の形に圧縮して焼き固めたようなもので、その当時は美味しいと思っていましたが、お抹茶のお菓子には向かないでしょうね。
前回までで、座禅における信には、「自分が認識できないことを承認するという観点」があり、また信ずるという行動には、「三昧に裏付けられた信がなければならない」ということをお話しし、そして「人間形成が深まるにつれて信も深く盤石になってゆく」と申しました。
ここで人間形成のための座禅の修行には、信がなければ進まないと云い、人間形成が深まって初めて信が本物になってゆくと云うことであれば、卵が先か鶏が先かの矛盾を打開できないロジックになります。
したがって座禅の道を志す人にどう申し上げたら良いのかと云うことになりますが、「大信根」の要訣にあるように信は必要なのですが、信がなければならないという言い方ではなく、純粋な道を求める心が大切であると云うことで十分だと思います。
純粋な道を求める心が信というものを作るし、純粋な道を求める心が三昧に入る駆動力になるのです。
禅における信にしても、純粋な道を求めるこころにしても、人間形成の深浅にかかわらず、「我=エゴ」の意識が限りなく希薄になっているものです。これが信を生み、また三昧へ入って行きやすくしているのです。
逆に言いますと、座禅の修行を長くやって来て、へたに自信が付いてきて「我=エゴ」の意識だけが強くなれば、自分の意見に過剰に自信を持ちそして固執し「自分が認識できないことを承認するという観点」、すなわち信というものが限りなく希薄になることは残念ながらままあることです。こういう人は座禅の修行を全うすることはできません。
昔から「初心忘れるべからず」と云われますのは、初心の時のように「純粋な道を求める心」を、座禅の修行で道眼・道力が少しくらい付いたからと云っても、決して忘れるなよ!と戒められているのです。
最新の脳科学の方からも、慈眼先生のお説によりますと、頭頂葉は自分の立ち位置を常に意識し明確にしようとするところとなっており、この頭頂葉が活性な間は前頭葉(感性、自他不二)が活性にならないとなっています。
すなわち座禅によって三昧に入り、自我を空じて、前頭葉が活性になり、信というものが深く強くなって行くことを、脳科学は実証的に裏付けています。
「信と禅」でのお話しの最後に、小生の『立教の主旨』の提唱の一部を引用します。
【耕雲庵老大師の悲願を実現するものは、この五箇条には隠れて出てはおりませんが、「信」であると思います。
この第4項には、老大師自身が、師家であり、総裁でありながら、人間禅会員に絶大なる「信」を持っておられると云うことが伺われます。
僧伽・人間禅の隅々にまで、上から下へ、下から上へ、横から横へと、この「信」が必須であると考えます。
支部内における信。総務会における信。支部長会議における信。常任法務会における信。全人間禅内における信。教団と教団周辺における信。この「信」が、すばらしい僧伽人間禅および『立教の主旨』に点睛するのです。
『立教の主旨』第4項の「各自の人格を尊重する」とは、この信を深く意味するものであると考えます。】
4回にわたる「信と禅」にお付き合い頂き、有り難うございました。
ここ京都府八幡市の人間禅関西道場は、明後日の創立60周年記念に合わせるように、立礼席の前の紅葉が赤くなってきております。
春潭 拝
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