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2019.10.10 Thursday

摂心会を直前にして

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摂心会を直前にして

丸川春潭

 摂心会は、人間形成の二本柱の片方で人間形成の禅にとって大変重いものです。単に参禅修行の機会があるということだけではなく、一週間かけて心を摂するところに重要な意味があります。

 摂という字には、「散乱しないようにおさめる。いくつかの物を合わせて束ね持つ。」等の意味があり、摂心会となると心を散乱しないように収める会、すなわち集中・三昧の鍛錬期間でありそれをやる会ということになります。

 摂心会は、一日一炷香の三昧養成とは異なり、師家と一対一で商量する参禅を中心にして、座禅三昧、作務三昧、食事(粥座、斉座、薬石)三昧等全ての行事において三昧を継続し深める期間です。まさに三昧を身に付ける重要なそして貴重な機会です。

 いつも云っていることですが、公案透過が目的化されると参禅だけが大切でそれ以外の行事は意味が軽くなってきます。こういう人は、公案は進んでも人間形成は進みません。人物が醸成できないのです。まさに耕雲庵英山老師以下歴代の師家方が厳しく戒めておられた禅学者(公案の見解は知っているけれども、公案に込められた境涯が身に付かない、単なる物知りの評論家)になるのが落ちです。

 在家禅修行の両輪の片方である摂心会は一週間詰め切りが基本です。それにより24時間三昧に打ち込み、それを一週間継続することで、三昧が身に付き人間形成が進むのです。この三昧が身に付く意味合いは、道眼と道力の両方が融合したものです。参禅修行に、座禅三昧、作務三昧、その他道場での24時間の三昧行が渾然一体となってはじめてできるものです。これが人間形成の禅の命です。

 ただ在家禅の難しさは、社会的責任や家庭での責務等により、結制から円了まで門外不出ということが、余程条件が揃はなければできないということです。そこでやむを得ず出勤したり自宅に帰ったりしなければならなくなるのですが、大切なことは、基本をしっかりと認識し、それに如何に近づけるかということです。

 サラリーマンが朝の参禅後に下山して会社に行き、定時後は道場に帰ってくる。摂心会の一週間はこの道場を自分の居場所とし、できるだけ休暇を取る工夫を加味し、できるだけ基本に近づける努力が必要です。

 要は参禅の回数を単に重ねるということではなく、一週間をかけて段々と三昧を持続し深め身にすり込んでゆく修行が何よりも必要なことであり、これが出来るのが摂心会というものなのです。

 一昨日、7年前のノーベル賞受賞者の山中京大教授が、人生はV(vision)とW(work hard)が大切だと言われていました。Visionは目標・目的であり、日常に流され、当面の仕事に埋没してともすればVを見失いがちになるのだけれど、このVを常に意識して日常に埋没しなかったのが自分には良かったと述懐されていました。今年の受賞者の吉野博士は、柔軟と拘り(剛直)を併せ持つことが必要と言われていました。これらの発言は、在家禅者の修行にも大いに参考になる話だと思いました。

 一年間52週間の内の3回の摂心会です。これを基本形にどれだけ近づけてそれを積み重ねられるかが人生なのです。(つづく)

 

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