「次を考える」(その1)

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「次を考える」(その1)

丸川春潭

 お茶のお点前において、気続立てを試みて気づかされるのは、動作の一つ一つが次の動作を考えて設定されていることである。一つ一つの動作に集中していることが自然に次の動作の準備にもなっている。長年繰り返し工夫し研鑽を積まれる中で無駄が削られると共に、一つ一つの動作への集中と準備がよどみのない一連の流れになっているのに感心する。日本文化の奥深さである。

 和服の角帯は片方が半分に折られており、その折られている方から帯を巻き始めることになる。角帯は結構長いのでその折れた端を探すのが一仕事になる。そこで最近はその折れた先端が目に付きやすくそしてそれを引っ張れば直ぐ帯を巻き始められるように、着物を脱ぎ帯を取ったときにその状態にして掛けておくようにしている。些細なことであるが、次を考えた工夫である。

 人間禅にご縁が出来た当初に戸惑ったことは、履き物の脱いだ後の揃え方が独特であったことである。玄関などの上がり縁に平行にそろえて脱ぎ、それを常態化させることである。トイレにスリッパがあるときにも同様に出船、入り船様式ではなく平衡に脱ぐやり方である。これは普通では玄関から脱いで上がるときには上がる方向に揃えて上がる入り船の形になり、降りるときは手で逆に向け出船の形にしてから靴を履くということになる。これに対して、人間禅のやり方は台に対して横向きになって上がり下りをするため、向きを変える手間が省ける。トイレのスリッパではなおさら手で向きを変えることないことは衛生上にもなる。すなわち脱ぐときに次の履く時を考えた動作になっている。人間禅が始めたものか、法系を遡る円覚寺僧堂からの伝承なのか定かではないが、よく工夫された作法である。

 トイレついでに、トイレでトイレットペーパーがなくなったときハッとして周りの手の届く範囲に予備がおかれていてホッとした経験をお持ちの方も多いでしょう。近くにあってホッとした後に、自分が助かって良かっただけではなく、今度は自分がその補充を直ぐするかどうか?これが次が考えられているかどうかに掛かってくる。次が考えられるかどうかはかなり高次な人間形成のレベルである。

 そして最初に書いたお茶の動作とか角帯の始末の仕方は、自分だけのための次を考えるであったが、大勢の中での履き物の脱ぎ方とかトイレットペーパーの気配りは、他者のためへの次を考えるであり、この他者のための次を考えるがその集まる人たちに共有されれば、人々の集まりとして組織としての成熟度が上がるということになる。(つづく)

 

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