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2020.06.03 Wednesday

「夢窓国師出生の周辺」 夢中問答集より(四)

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「夢窓国師出生の周辺」
夢中問答集より(四)


粕谷要道

 「日本における書籍蒐集の歴史」(1999年)「よみなおす日本史」(2019年)「夢窓国師・禅と庭園」(昭和43年)「夢中問答集」(2000年)校註・現代語訳などの著作のある昭和の日本文化史研究の碩学川瀬一馬先生(1999年没)が解説・「夢窓国師の生涯」で、、、、国師は後宇多天皇の建治元年(1275年)、伊勢国三宅村で出生、父は源氏(佐々木氏)、母は平氏、一族の争いから4歳の時、甲斐国へ移住、その八月生母を喪った。父が甲州へ移ったのは、同じ源氏姓の由縁(ゆえん)、武田源氏を頼ってのことであろうと思われる。幼より温和で資質すぐれ、仏典の他孔孟老荘その他世間の技芸才能に至るまであらゆる方面を学んだ。幼少の頃の逸話も種々伝えられている。九歳の時、平塩山の空阿につき出家を志す。顕密の教学とともに樹下石上で坐禅修行をし、少年のころから乾徳山によじのぼり、独坐澄(調?)心、その際、徳和の八右衛門に介抱された(八衛門の子孫は今も続いており、国師は恵林寺を営む際、本堂の内に八右衛門座敷というのを設けて報恩している)。十八歳で南都へ赴き、慈観律師より受戒。戻って平塩寺にいたが、受講の天台の学僧の臨終の覚悟の乱れを見て、たとい多聞博学でも、仏法の悟りは得られない、禅で教外別伝(きょうげべつでん)というのはもっともであると反省し、、、、。
 この下りの前半で、著者の川瀬先生は「国師の人物内容についてははなはだ見方が足りないように思はれるので、国師のまことの姿をあきらかにしたいと考えて、関係資料を探索し、国師の足跡を全国に踏査して研究したのが、上述の拙著である。」とも書いておられる。

 

 乾徳山(標高2031m)徳和村より山頂迄徒歩約3時間強
 

  
 
平頼綱と北条貞時(いずれもWikipediaより)


 川瀬先生の文中の「(国師の)母は平氏。」とは、前回のブログで紹介した「(父は近江源氏・佐々木朝綱、母は北条政村の娘」のことで、時々刻々研究成果が更新される電子百科事典では、「北条政村の娘」の嫁ぎ先は国師の父・近江源氏佐々木朝綱の他、北条実時(1224〜1276)、北条宗政(1253〜1281)28歳又は29歳没、安達顕盛(1245〜1280)泰盛の子。北条時茂(ときもち・ときしげ)(1240〜1270)同姓同名の人物があり、この生没年の人物が当人である。及び北条業時(1241〜1287)とある。いづれも後期鎌倉幕府の若きエース、ホープ達で、その嫡男からは謎に包まれ早すぎる最期を遂げた悲劇の執権北条師時なども輩出している。
 その一方、女子の表記は「政村の娘」のみで、数人いた女子の名前はいずれも不詳で、明かされていない。事実であれば鎌倉幕府執権北条得宗家の驚くべき政略結婚の内実である、さらに奇妙なことに「佐々木朝綱の室」というあるべき記述が無く、「その他」の項目に含まれている。つまり氏名抹消である。後に述べるがこれは裏に北条家の政治的意図があったと考えられる。これらの記録の出処はいずれも幕末の政所(まんどころ)で、正安2年(1300年)頃編纂された鎌倉幕府の公的記録「吾妻鏡」故で、誤植あり、或る時代部分欠落も有りで、現在も続く事績の年代考証、幕府研究の主たる唯一の手掛かりとなっている。

 

 北条義時と北条政村の系図


 
 北条実時の嫡男は前回のブログで紹介した、北条顕時(記録の上では国師の20数歳上の従兄)である。
 顕時は妻が霜月騒動(弘安8年・1285年12月14日)で内官領平頼綱により粛清された安達泰盛の娘・千代野であったため、幕政から失脚させられていたが、1278年より伊勢国守護職につぃていた経緯から任地の伊勢国に居ることが多かったのではないだろうか。1279年頃?幕府外戚の御家人安達一族と内管領の対立が深まるなかで顕時に連座して、災いが及ぶのを避けようとしたのか、4歳の国師と一家は旧知の甲斐源氏(甲斐守護職?)を頼って甲斐国(乾徳山の麓、徳和村か?)へ移住するのである。
 国師の父、近江源氏の佐々木朝綱一家がなぜ伊勢国に居たのかは、祖父佐々木経泰が近江源氏の嫡流から廃嫡されていたことと関係があるようである。
 鎌倉では霜月騒動の後、勝者の平頼綱が執権を凌ぐ勢威を誇り、恐怖政治を敷いていた。これに不安を覚えた第9代執権・北条貞時は永仁元年(1293年)平禅門(へいぜんもん)の乱で平一族を一掃して、頼綱を自刃に追い込む。その後北条顕時は北条貞時の信頼を回復して復権する。(つづく)

 

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