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2015.03.21 Saturday

「座禅」のうわさ話(その3)

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「座禅」のうわさ話(その3)

 

丸川春潭です。

 前回の「座禅」のうわさ話(その2)で少し頭出しをしました「座禅」についての説明を「座」と「禅」に二つに強いて分けて説明してみたいと思います。

 

 我々の人間形成の禅には、二つの車があり、まさに両輪に依って人間形成は進んでいきます。

 一つが「座」の車であり、一つが「禅」の車です。

 

 そして人間禅は、臨済宗の法系ですので、座禅の「座」と云いますと、数息観法を行うと云うことになります。(曹洞宗系では数息観法を行うところもあるようですが、大部分は数息をせずただ雑念を切ってゆく只管打座のようです。)

 

 数息観法は、仏教が開かれる前からあった東洋的観法であって、仏教や禅の固有のものではありません。オーストリアなどのカソリックの牧師さんが本当の祈りに近づくためにという目的で、数息観法を長年実践されておられますが、まさに宗派を超えている「こころ」を磨く観法です。

 

 しかし、座禅を組むとかいう言葉にしても、数息観と座禅という言葉の結びつきから、数息観は禅の前段であって、やはり宗派性がないとはいえないという感覚で今でも多くの人に受け止められ続けていることも事実であります。

 

 そこで座禅の座と禅を切り離して、「座のすすめ」と「禅のすすめ」に分離し、それぞれを明確に特徴づけながらメリハリを付けて発信して行くことが必要であると考え、その分離し整理したらどういうことになるかということです。

 

 「禅」から切り離なされた「数息観の座のすすめ」は、本来的に、それだけで独立しており、そして完結した行として評価できます。

 

 したがって大学のサークル活動、公教育に於けるこころの教育、公民館のような公的機関では、禅を抜いた数息観法を「座のすすめ」だけで終始して、充分な効果を得ることができます。

 

 相対樹・絶対樹の絵(下図参照)における、絶対樹の幹の部分(諸武道、諸技芸道、諸宗教各派に分かれる前の幹の部分)を充実させることが、人間形成のための「座のすすめ」の主たる目的になります。

 諸武道、諸技芸道、諸宗教各派には、それぞれ独自の個別の集中力・三昧力を養成する方法を必ず持っていますが、普遍的でどういう思想信条を持っている人にも採用できて、しかも効果がある洗練された方法が、数息観法の座であります。

 

 数息観の座だけでは禅の悟りを得て道眼を開く(転迷開悟)ことはできませんが、人間形成の基盤である人間力(道力)を付けることができます。すなわち禅と切り離した数息観の座だけでも人間形成はかなりのところまで進められます。

 

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