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2020.06.18 Thursday

座禅と徒然(つれづれ)(3)〜〜数息観座禅時の呼吸について〜〜

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座禅と 徒然 ( つれづれ ) (3)

〜〜数息観座禅時の呼吸について〜〜

 

  1. はじめに−吸う呼吸に意識を置くか、吐く呼吸に意識を置くか−
  2. マインドフルネスのティクナットハン先生の呼吸は吸う呼吸法
  3. 関西支部の方々との論争−呼吸の長さ論議−
  4. 人間禅の先輩老師方の呼吸法−耕雲庵老師、澄徹庵老師、他の老師−
  5. 道元禅師の欠気一息(かんきいっそく)の意味するところ
  6. おわりに−いろいろな呼吸法の変遷を経て−

 

1. はじめに−吸う呼吸に意識を置くか、吐く呼吸に意識を置くか−

 中国支部(現岡山支部)にご縁があって座禅を始めたころの数息観の呼吸は、吐く息が主体でした。すなわち息を吐くところが長く、吸う息は一度に吸って短い呼吸法でした。吐く息に集中して数息三昧を深めるやり方です。
爾来30数年、吐く息主体でやっていましたが、数息観が深くなればなるほど吸う呼吸が疎かになり苦しくなる感じがして、自分の工夫で吸う呼吸をゆっくり注意深くして一気にフッと吐くやり方の吸う息主体の数息観に変えました。この吸う息主体の数息観になって20数年になりますが、こちらのほうが呼吸に邪魔されることなく数息観を深められると今は考えています。

 

2. マインドフルネスのティクナットハン先生の呼吸は吸う呼吸法

 10年ほど前に、世界的にマインドフルネスが有名になり、NHKがその提唱者であるベトナムの臨済禅師ティクナットハン先生にインタビューをし、その録画を見る機会がありました。この録画で驚いたことにハン先生は明確に吸う息主体の数息観であると云うことでした。吸う息を長く3秒かけて吸い、短時間に一気に吐き出すやり方で、まさに小生が独自に工夫して現在もやっている吸う息主体でした。吸う息に注意深く意識を鋭敏にし、吐く息は雑念が入るので急いで吐き出すと云うニュアンスの話でした。

 

3. 関西支部の方々との論争−呼吸の長さ論議−

 今から40年ほど前、関西支部の若手(広瀬浄照、三木浄光、広内常明)が中心になって、数息観に熱心に取り組まれており、関西では長息が大いにはやっていました。一分間に2、3呼吸しかしないと豪語していました。これに対して、小生は自然の呼吸(一分間に10回弱)が良いという意見で新到者の指導をしておりましたので、やり方が異なると云うことを彼らは気にしていたようで、関西支部の若手連中が本部道場とか擇木道場に当時はよく出てきていましたが、その折、長息が良いのか自然呼吸が良いのかの論議にもなりました。

 この話が、関西支部の大先輩であり重鎮である、きんでんの社長(阪神支部の創立者)の高橋芦舟さん(後に滴水庵老居士)の耳に入り、大阪から潮来の拙宅に「長息でないと駄目だよ!」と云う説得の電話が掛かってきました。そこで電話では論議が着かないと云うことで、小生は「数息観は自然そのものでありロマンである」と云う小論を封書で送りました。数日後、芦舟先輩から小論を読んだ結果として「よく判った。君は長息でなくても良し!」という電話がありました。

 

4. 人間禅の老師方の呼吸法−耕雲庵老師、澄徹庵老師、他の老師方−

 小生の座禅の手引き書は最初から耕雲庵英山老師著『数息観のすすめ』であり、坐相も呼吸法も数息法も全てこの本から始まっております。(実は小生の座禅の最後の学びもこの本だと思っています。)

 この呼吸法は、長息とも書いていないし、吸う息にも吐く息にも偏っていません。ただ段々深くなってゆき、通常の呼吸よりもゆったりしている(44分間で330回)くらいの記述しかありません。

 これに対して耕雲庵英山老師の直弟子の嗣法者である澄徹庵月桂老師は、吐く息主体の長息派でした。また同じ直弟子の熊本の一行庵義堂老師は、自然呼吸派でした。人間禅の年に一度の東京講演会で講演をされましたが、呼吸の仕方を自然にというお話しでした。函館の徳猶庵信堂老師は、坂東道場(現潮来禅道場)にもよく来られ摂心会に参加されていましたが、周りに響き渡るような吐く息主体の長息派でした。

 

5. 道元禅師の欠気一息(かんきいっそく)の意味するところ

 先も述べましたが、小生は座禅及び数息観は全て『数息観のすすめ』に依拠していまして、道元禅師の『普勧坐禅儀』を読んだのはずっと後になってのことであり、有名な「欠気一息(かんきいっそく)」(座禅の始めに先ず息を吐ききり、そして吐ききったままでややしばしそのままで苦しくなってから大きく息を吸ってから座禅に入るやり方)もしていませんでした。豊前の芳雲庵真覚老師は若いころから欠気一息をやられていたようです。 
最近になって、吸う息主体の数息観の工夫の中で、欠気一息を取り入れると吸う息主体の数息観の軌道に早く乗れることに気が付き、時々やるようになっています。これは取りも直さず道元禅師の坐禅も吸う息主体ではないかと推測しています。

 しかも道元禅師は、数息をしない座禅すなわち無念無想にひたすら成り切る座禅であり、臨済禅に対して只管打坐を特徴としています。ただこれも耕雲庵英山老師の『数息観のすすめ』の後期数息観と同じです。在家禅者は通常一人で一日一炷香を行ずるのですが、これには数息観が適しているのは間違いないと思っています。

 

6. おわりに−いろいろな呼吸法の変遷を経て−

 座禅の呼吸の仕方には長息とか吐く息主体とか吸う息主体とかいろいろあります。いろいろ試してみることは必要ですが、肝心なことは自分流を何でも良いから徹底してやり続けることです。そして数息観の三昧が深くなるとまた自然に呼吸の仕方が変わることもありです。
小生の今の呼吸の仕方は、いきなり数息観中期(1〜10)に入り、ゆっくりと吸う息に注意して吸いフッと短時間に吐くやり方であり、これがキチッとできたら次のステップとして息を数えないで十息する間を雑念なしに徹底する座禅です。これは三息を三回と最後に締めくくりの一息という十息の間、息を数えないで坐るやり方です(数息観と数息しない正息観との中間の座禅観法)。そして第三ステップとしては後期数息観に入り、正息観(只管打坐)に徹して坐る。最後に仕上げとして、呼吸から離れるためにひと呼吸息を止めたまま雑念を入れないひと時を坐り、静かに呼吸に戻るがその時には呼吸を意識しない息から離れた離息観(宝鏡三昧)の座禅になっています。
座り始めは呼吸も定まらず念慮もざわざわと出ていますが、以上のステップを通ると三昧が身に付いた状態になります。その始めと終わりの自分の精神状態の差が如何にも大きく、理屈抜きにただ坐るだけでこれだけの精神状態のレベルが上がるのかと日々驚き、こういう行を伝承された仏祖方の報恩をしみじみと感ずると共に、坐らないままのレベルで一日過ごすことはみんなに申し訳ないから坐らざるを得ないとなるのです。従って朝の座禅はみんなのために、夜寝る前の座禅は自分のためにとなるのです。 


丸川春潭
 

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