老師通信

人間禅の老師による禅の境涯からの便りです。
人間禅のホームページにもお立ち寄りください。

人間禅のホームページはこちら 老師通信一覧はこちら

 

<< 一日一炷香(数息観座禅)の質を高めるために | main | 伝法嗣法の師家を信ずる >>
2020.07.24 Friday

坐禅の魅力

JUGEMテーマ:

 

坐禅の魅力

 

延 時 真 覚

1.はじめに

 さて、今年は戦後75年の節目の年でございます。太平洋戦争は、昭和16年12月8日に始まり、4年後の昭和20年8月15日に終っております。私が生まれた年に始まり、ちょうど物心付いた4歳の時に終戦を迎えております。戦争のことは、はっきりと記憶にありませんが、防空壕での生活、あるいは家族と一緒に田舎に疎開したことは、かすかに記憶に残っております。太平洋戦争が終了し、廃墟の中から立ち上がった日本は、75年間の間に奇跡的な復興を遂げ、今日の経済的繁栄をもたらし、物質面では、世界に類を見ないほど豊になって来ております。それに対して精神面においては、明らかに遅れているのでございます。21世紀は、『心の時代』と言われて久しくなりますが、昨今の世情を垣間見るとき、心の問題が様々に表面化して来て、色々な社会問題を引き起こしていることは、ご承知の通りでございます。高度情報化社会の現代は、様々な情報が錯綜し、その情報の多様さに心のゆとりさえ失いかけているのが実情ではないかと考えられるのであります。まさに情報氾濫の時代で、外部からの刺激があまりにも多く、これに気を取られて、なかなか自分自身を見つめる心のゆとりがございません。

 「自分自身を知ること」の重要性については洋の東西を問わず、古くから指摘されておりました。哲学者ソクラテスが日々言っていたという「汝自身を知れ」という言葉は、あまりにも有名でございます。お釈迦様もしかり、「自分自身を知ること」の重要性を指摘されているのでございます。

 私自身、幼年期、少年期、青年期と、ただ世間の波に流され、自分のことを静かに見つめる機会があまりありませんでしたが、32歳の年に坐禅とのご縁をいただき、細々とではありましたが、坐禅の魅力に引かれ、今日まで修行を続けることが出来たことは、誠に有難いことでございます。

 坐禅の修行は、『本当の自分』とは一体何かということを、はっきりと自覚し、その上で、『本当の自分』をさらに育て上げてゆくことでございます。

 

2.坐禅とのかかわり

1)一冊の本との出会い

 社会人になってからも、勤務のかたわら学生時代から始めた剣道を続けておりました。そのうち、剣道6段の試験に挑戦するようになり、練習にも一段と熱が入るようになりました。

 当時、6段以上の昇段試験は、5月に京都で、11月に東京で、9月に地方都市のどこかで、年3回、定期的に実施されておりました。

 昭和49年11月、東京に6段の試験を受けに行った折,試験の前夜、たまたま同宿した先輩受験者の一人に、一冊の書物を紹介して頂きました。その本は、直心影流の道統を継がれた並木 靖という方の書かれた『直心の剣の悟り』という本でございました。

 東京での試験は失敗に終わりましたが、帰ってから、早速、書店で、この本を求め、一気に読んでしまいました。この本は、「剣は心なり 心正からざれば 剣また正しからず 剣を学ばんと欲すれば まず心より学ぶべし」という言葉を残した中津出身の幕末の剣豪 島田虎之助をはじめ、直心影流歴代の流祖方が、いかにして剣の心を極めて行ったかということ、更に、勝海舟や山岡鉄舟が、幕末から明治に至る激動の日本国を救うために、いかに真剣に坐禅と剣の修行に取り組んだかということが縷々述べられております。

 人間禅は、明治のはじめ、国の前途を憂えた山岡鉄舟居士等の先覚者が鎌倉円覚寺管長の蒼龍窟今北洪川老師をお招きして、人材育成のための禅会として「両忘会」を創設したのが始まりでございます。

 この本との出逢いが、私自身の剣道観を大きく軌道修正すると同時に、坐禅への好奇心を芽生えさせたのでございます。

 この頃から、折々暇を見付けて自己流で坐禅を組むようになりましたが、なかなか、うまく坐れませんので、ある日、久留米の鬼僧堂と言われている梅林寺にわざわざ出かけて行き、「坐禅の坐り方を教えてください。」とお願いしましたところ、若い修行僧が出て来られまして、丁寧に指導して下さいました。

 それから、しばらく自宅で坐っておりましたが、足が痛い、眠い、面倒くさいなどで、どうしても途中で止めてしまうことがしばしばでございました。

 

2)禅寺での早朝坐禅

 その内、ふとした縁から中津の自性寺で、早朝坐禅をやっているということがわかり、早速、毎朝の坐禅に参加するようになりました。

 この自性寺は臨済宗妙心寺派の奥平藩歴代の菩提寺で別名を大雅堂といい、中津市の主要な観光ルートの一つでございます。大雅堂と呼ばれる由縁でございますが、白隠禅師の法嗣であった、自性寺第12世 提洲和尚(だいじゅうおしょう)と池野大雅は、共に白隠禅師の門下生であり、和尚と大雅は、若い頃から親交があったのでございます。そういう間柄であったので、提洲和尚が京都より中津の自性寺に赴任される際、大雅夫妻を伴って来られたのでございます。

 大雅夫妻は、しばらく自性寺に滞在されましたが、その間に提洲和尚に参禅するかたわら、大雅は筆を取って現在展示されている書画四十数点を書き残されたのであります。

 この自性寺の第24世の一道和尚が、毎朝の勤行を欠かさず行われておりましたので、勤行の間、坐禅をさせていただきました。

 私が自性寺の早朝坐禅に行くようになった頃、中津在住の鎮西道場の先輩居士2人が、この早朝坐禅に参加されておりました。

 ここで、北九州市小倉北区にある人間禅鎮西道場について、簡単に紹介しておきます。

 この人間禅の鎮西支部は、大正13年5月、両忘庵釈宗活老師をお招きして、第1回摂心会を戸畑の安川男爵邸において厳修しております。その後、昭和8年に、現在の小倉北区に道場が建設されたのでございます。

 鎮西道場の先輩から坐禅の正式な坐り方、数息観のやり方等、色々と指導していただきました。

 しかしながら、毎朝50分の坐禅は、終わりごろになると足が痺れてしまい、足の痛みと格闘しながらの坐禅でございました。ある時、どうも自分の坐禅の仕方が悪いのではないかと思って、先輩に、「坐禅の終り頃になると足が痺れてしまってどうしようもないんですが、私の坐禅の仕方が悪いんでしょうか?」と聞きましたところ、一言「それは、工夫が足りないからだよ」と言われました。この「工夫が足りない」という言葉は、しばらく、私の頭から離れることはなかったのですが、後になって、ようやく、この意味が分かりました。

 また、先輩に「坐禅は継続することに意義があるのであって、止めてしまったら元の木阿弥だよ」と良く聴かされたものでございます。

 当時、毎朝5時に起床するのは苦痛であったが、その内、だんだんと生活のリズムに乗って来るようになりました。一年を過ぎた頃から、寺に行き来する毎朝に、四季折々の表情があることに気づかせていただき、坐禅に行くのが楽しみになりました。

 雨の日には雨の日の、雪の日には雪の日の、その時だからこそ味わえる気付きや感動もありました。

 ある朝、坐禅に出かけようとして家の玄関を出たところに、小さな白丁花の花が咲いているのに気が付きました。その瞬間、その白丁花のあまりの美しさに一瞬、心を奪われました。それまで全く気にも留めなかった花ですが、花がこんなに美しいものであるということに気付いたのもこれが初めてでございました。花の命という根源的なものに触れたような気がいたしました。

 芭蕉の句に『ふと見れば ナズナ花咲く 垣根かな』というのがありますが、芭蕉も何気なく見たナズナの花の美しさに感動したのであろうと思われます。

 二年目を過ぎた頃から、自性寺の早朝坐禅に、現在の人間禅豊前支部のメンバー数名が参加するようになり、早朝坐禅も、いよいよ活気付いてまいりました。この自性寺での毎朝の早朝坐禅に、約3年近く参加させていただきましたが、この自性寺こそ、犧疏気量ノ廊瓩鮠成させて頂き、人間禅との橋渡しとなった、坐禅の原点ともいえる有難い場所でございます。

真覚

 

コメント
コメントする








 
Calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode