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2020.07.25 Saturday

伝法嗣法の師家を信ずる

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伝法嗣法の師家を信ずる

丸川春潭

 今年の総裁の年頭の垂示は深くそして広く人間禅のこれからの方向性をしめされており、いろいろな意味で素晴らしいとつくづく思っています。この垂示は、新しいホームページの師家通信に掲載されており、スマホでも簡単に読めます。会員はひと月に一回は繰り返し読んで欲しいと思います。

 その中の一節に「私が目指したい人間禅について申し上げます。それは一言で申しますと、我々は「信」をもとにして成り立っている僧伽であるということです。「信」とは、法を信ずる、歴代の仏祖方を信ずる、伝法嗣法の師家を信ずる、道友を信ずる、自分自身を信ずる。この「信」です。」があります。

 五つの信を挙げられましたが、ここでは真ん中の「伝法嗣法の師家を信ずる」について考えて見たいと思います。

 人間禅に伝法の嗣法者は現在二十六名居られます。そして師家の任に就かれている方が十五名居られます。これは凄いことであり、伝法に布教に頼もしい限りです。歴史的に見ますと一つの僧堂一つの在家禅会には伝法の師家は一人であり、一つの僧伽に複数の伝法の師家を持っていることはほとんど見あたりません。したがって人間禅は特殊なケースであり、他の僧伽では見られないことがいくつかあります。総裁老師の存在があり、総裁が各支部・禅会の担当師家を任命することになっています。総裁の任命は絶対であり師家も会員もそれに従います。

 また人間禅の会員として20年30年の古参の会員は例外なく複数の師家に参ずることになります。小生は少ない方だと思いますが40年間で四名の人間禅の師家に参じました。ここで師家と学人の間の信ということが問題になってきます。すなわち師事する師家を自分の意思で選べないということになります。もちろん人間禅に入門し、人間禅の僧伽に入会する時点で信についての大きな選択と決断をしています。転勤で支部を変われば師家が変わることになり、また人間禅全体の人事の観点から担当師家が変わる場合もままあります。人間禅に信を持つと云うことは、人間禅の師家方全てに信を持つと云うことに即なっているのです。従って人間禅の会員は人間禅の中での師家の選択はできないのです。このようにして師事する師家が変わった時でも常に全き信を師家に持てるかどうかを確認しておくことが必要です。また地方支部・禅会の会員で10年以上経っても総裁に参じたことがないという会員が結構おります。こういう人が評議員とか法務会員になって本部に行き総裁に参ずると云うときに、担当師家以外の師家に参ずるということになり、同じように信が問題になります。残念ながら実態として人間禅の場合に師家が変わったのを切っ掛けに参禅修行(師家に独参する修行)から遠ざかるケースが稀ですがありました。

 人間禅の師家方は十人十色で個性が多様であり、それぞれの宗風をお持ちです。しかしこと法という観点からは人間禅の歴代の師家を含めて全て"同坑に異土無し“(同じ坑であればどこを取っても同じ土である)であります。これを会員が信じていれば師家が変わると云うことを正受するということに問題は全くないはずです。学人にとって師家の多様な個性に好きずきが出てくるのは仕方がないとしてもそれによって師事することにいささかの選択があってはならないのです。これがタイトルの「伝法の師家を信ずる」ということになるのです。

 もう少し違う角度から師家と学人の間の信について考えて見たいと思います。師家は自分の精一杯の見識と経験に基づき学人の人間形成を図ろうと腐心するのですが、あるときはその指示が学人にとって今まで経験したことがなかった事柄であったり、自分なりに考えて何故そういう指示が出たのか判らないときがままあるものです。これは室内でのやり取りは勿論のこと平生の布教活動においてもであります。小生も修行時代に何度もそういう経験をしております。この時の学人の対処の仕方が問題になります。自分が納得しないのに従うべきでは無いというのが世間の常識ですが、僧伽における常識は異なり、学人自身にとって何故か判らなくても師家の指示だからと素直に従うのが原則です。これも「伝法の師家を信ずる」ことです。ところが高学歴でインテリゲンチャの中には自分で納得しなければ師家の指示に従えないと云う人もいるわけです。

 ここで信ということをもう一度考えたいのです。信ずるということは自分では届かない見えないものに命を預けるということです。仏教用語ではこれを帰依すると云います。これは容易なことではなくある意味危険なことであり、預けた相手が麻原彰晃であれば本当に命を落とすことになります。人間禅に対する信を入門、入会の時に確認することが大切であり必要な所以です。これがしっかりしていると、総裁に参ずると云うときにもまた師家が変わると云うときにも師家からいろいろな指示が出たときにも戸惑いはないはずです。繰り返しますが、伝法の師家(人間禅の師家)は同坑に異土無しであり、法に関しては無色透明であり絶対です。これに対する信が本物でなければ命がけの修行は出来ませんし、修行を全うすることは出来ません。信ずることの前提には自分の境涯では手が届かない想像も出来ないことがあることを謙虚に自覚することが必要です。その自分では見えないことを伝法の師家は正しく保持していると認めることが信であります。信があるから命を預ける(帰依する)ことができるのです。

 総裁の年頭の垂示の信の一つについて考えて見ました。改めて修行には信がしっかりしているかどうかが一番大切であり、新到者は勿論のこと長年修行をしているものも常にこの信を自分で確認することが必要に思いました。合掌

 

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