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2020.08.01 Saturday

夏草や

 

 

夏草や

杉山呼龍

 

 奥州藤原氏は、清衡、基衡、秀衡の三代で栄耀栄華を誇ったのも、平安時代後期の約百年であった。四代康衡の時代に、頼朝から逃れてかくまっていた源義経を滅ぼし、泰衡自身もその後、その命令を実行するのが遅いという理由を付けられて頼朝に攻め滅ぼされた。芭蕉はこう書いている(奥の細道)。

 

 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先ず高館(たかだち)に登れば、北上川南部より流るゝ大河也。

 

 芭蕉の登った高館(たかだち)とは中尊寺山門の近くにある小高い山で、義経主従がたてこもっていた場所である。現在は余り人が訪れないが名所となっている。その景色は北上川が一望に見渡せる東北随一の絶景といえるだろう。遠くには西行が桜を詠んだ束稲山(たばしねやま)が見える。芭蕉は

 

 さても義臣すぐって此城にこもり、巧名一時の叢となる。

 

 と言っているが、「義臣」とは、義経の忠臣、弁慶や兼房である。弁慶は歌舞伎「勧進帳」が余りにも有名である。芭蕉は主に悲劇の英雄、義経に思いを馳せていたのだ。さらに杜甫の詩を引用して感慨に耽っている。

 

 国破れて山河あり城春にして草 青みたり、と笠うち敷きて時のうつるまで泪を落とし侍りぬ

 

 この有名な俳句はこの感慨を詠ったものだ。

 

 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

 

(写真は高館(たかだち)から北上川を望む)

 

 

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