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2013.10.04 Friday

古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」(2)

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−−古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」−(2)−

丸川春潭

 窓を開けると、虫の音がなだれ込むように入ってきて圧倒されてしまいます。外国人は、虫の音を雑音のようにやかましいと感ずるとどこかで聞いたことがあります。日本人に生まれて良かったですね。

 最初に、禅門に入門すると云うことについてお話ししてみたいと思います。

 禅に入門するという意味には、臨済宗のやり方での師家に独参(一人ずつの参禅)するということでありましたが、それに加えて最近では、僧伽(人間禅)に入会するという意味も加わってきていると思います。

 古来より、禅に入門することは大変厳しく容易に許されなかったようで、現在でもその形式が、庭詰や旦過詰として僧堂では残っています。人間禅においても、3回の摂心会をしっかり経験し、座禅を組んで数息観を一年くらいしっかり行じて、そして一生修行を続けることを誓った者のみに入門を許すとしておりました。

 こういう厳格な入門規定があると云うことは、一つには座禅の修行というものは、安易に取り組んではとても歯が立つものでは無いと云うことがあります。すなわち余程腹を固め決意をして取りかからないと、人間形成の座禅の修行は進まないと云うことです。

 最近になって、いろいろな配慮から、そういう厳格な入門基準を緩めてきており、仮入門的に参禅体験的に参禅を許しておりますが、基本の考えは古来から踏襲されてきた厳格な精神が人間形成の座禅の修行には大前提としてあると云うことを忘れてはならないのであります。

 最近何故その厳格さを緩めてきているかと云うこと、「いろいろな配慮」からとはどういう観点か?でありますが、人間禅の創始者の耕雲庵老師は、最初の入門の動機はどういう些細なことでも良いと云われています。すなわち達磨大師の法を継いだ二祖慧可のように、肘を切ってでも本当の安心を得たいという本格の求道心がなくては入門を許さない、と云うことはしないと云うことであります。

 小生を座禅に縁付けて頂いた高校の書道の先生は、耕雲庵老師に、座禅の動機は書が上達したいからですと答えて、老師から何と望みの小さい理由だなと笑われたと云われていました。第三世磨甎庵老師も、こころを落ち着かせたいためでも、神経衰弱を直したいためでも、最初の動機はどんなことでも良いと云われておられました。

 そのこころは、人間形成の座禅は、とりわけ志の厚い人間だけではなく、平凡な普通の人間に対しても広く門戸を開いて行くという意旨であると同時に、人間形成の座禅を継続していくと必ず本気になってくるものであるという確信があるのであります。大切なことは、継続すると云うことで、継続するためにはほんものにならなければ継続できない、継続すれば人間形成の座禅によって、本物になって行くと云うことであります。

 外の虫の音も静かになりましたので、今日はここまでにしておきましょう。合掌

春潭 拝

 

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