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2020.08.09 Sunday

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第八章

 

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅

笹良風操

第八章 次郎長後半生の事業

 世の爲人の爲になることをしなければと思い立った次郎長は色いろな事業に取り組みます。

 その第一は富士山麓の開墾でした。

 明治4年薩摩出身の大迫貞清が勝海舟の推薦で静岡県令、つまり県知事になります。大迫は赴任する時鉄舟に挨拶に行きますと「清水港には次郎長という男気のある任侠の人がいる。信用できる男だから是非会ってみてくれ」といわれます。大迫は着任するとすぐ次郎長を呼び出し、

 「若しおはんに開墾の志があるなら、おいどんが責任もってその土地を決め申そう」と提案、次郎長はこの提案を受け開墾に乗り出します。

 開墾には人手がいります。次郎長は囚人を使って開墾を行います。次郎長は囚人に大きな自由を与えて開墾させ囚人に感謝されます。

 明治17年に開墾事業は打ち切られますが囚人に対し暖かい態度で臨んだ次郎長の人柄は後々まで語り継がれ、その土地はお茶の栽培地として静岡県民に大きく感謝されています。

 

 明治9年には次郎長は英語塾を開いています。イギリス人のパーマーという人を呼んで塾を開きました。この英語塾の影響でハワイ、カルホルニアに清水から移った移民は3000人を超えたといいます。

 

 明治11年山岡鉄舟は戊辰戦争で両親が行方不明になり懸命に探している天田五郎という青年を次郎長に紹介し清水一家に食客として住み込ませます。彼には文筆の才があり、次郎長に一代記を書かせてくれと頼み、次郎長の話を元に明治12年に「東海遊侠傳」を書きあげます。

 

 江戸時代ばくち打ちの世界は闇の世界ですから文献は何一つ残っていません。この「東海遊侠傳」だけがばくち打ちの世界を伝える唯一の文献であります。これが後に神田伯山や広沢虎造によって面白可笑しく脚色され現在にいたるまで演劇、映画や小説になったのであります。

 

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