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2020.08.10 Monday

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅 第九章

 

定年後の人生の模範 東海道一の大親分 清水次郎長と禅

笹良風操

第九章 次郎長入牢す。

 明治16年次郎長を愛した大迫県令は東京警視総監になり、後任として薩摩の奈良原繁が着任します。奈良原繁は侍のなかの侍で剛直な人でした。1862年4月の寺田屋事件では藩主島津久光の命を受け薩摩の過激派有馬新七等のいる寺田屋に切り込み親友有馬新七を切り殺し鎮圧した男です。8月には島津の大名行列を横切った廉でイギリス人リチャードソンを切り殺し薩英戦争にいたらしめた武術の達人です。

 奈良原が着任した直後明治17年1月賭博犯処分規則が公布され、日本各地でばくち打ちの一斉検挙がはじまります。いわゆる「ばくち打ち大刈込」です。

 次郎長はこれに引っかかって2月に逮捕されます。この時の家宅捜索で自宅から刀80本、槍1本、薙刀2本、長巻3本、和筒砲2門、ゲーベル銃23丁が押収されたといいます。

 当時自由民権運動が盛んになり、リーダーにばくち打ちの親分がなることが多かったので、自由民権運動を抑えるために行われたものらしい。

 次郎長は「とうの昔に足を洗って堅気になりお国の爲になる仕事をして褒められている人間だ。それを牢に入れるとは怪しからん。今に見ていろ、俺が出たら県令のヤツブチ殺してくれる」と言ったと伝えられています。

 しかし牢内では模範囚として刑に服したそうです。

 

 次郎長逮捕以来天田五郎は減刑嘆願運動をし、鉄舟も政府要人に会って釈放運動をするけどうまくゆきません。そこで天田五郎は次郎長の人柄の良さを書いた「東海遊侠傳」を出版、鉄舟は是を中央政界の有力者に配り次郎長への理解と支持をたかめます。

 そして鉄舟は親しかった同志、(西郷と会いに行くとき自分の刀が粗末だったのでこの人から刀大小を借りて差して云った仲)関口隆吉、当時元老院議官という偉い人になっていたのですが格下の静岡県令になってくれるよう頼みます。

 明治18年9月在任9か月で奈良原繁は栄転し、関口隆吉が新静岡県令に就任します。これはひとえに鉄舟の裏からの働きかけによるものでした。

 関口は咸臨丸事件の次郎長の働きに深く恩義を感じていたといいます。

 「東海遊侠傳」配布の効果で中央政界でも次郎長への同情と過酷な懲役刑への批判が出てきたので、これ等が総合的に働き、明治18年11月特赦による仮釈放で次郎長は1年9か月振りに出所できたのであります。

 鉄舟の人脈に助けられ、次郎長は人生最後の危機を乗り越えることができたのですが、その後は恩人の言うままするままにそのあとを行くことになります。

 出所後次郎長は汽船割烹「末広」を開業します。開業セレモニーに鉄舟は手書きの扇子千八本を引き出物にします。

 「末広」は広瀬中佐(軍神)やのちの小笠原長正中将等の青年海軍士官が数多く訪れ血沸き肉躍る次郎長の話に聴き入り大繁盛したそうです。

 

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