古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」(3)

JUGEMテーマ:

 

−−古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」−(3)−

丸川春潭

 今朝のお茶席には、吾亦紅が活けられていました。誰が名付けたのか素晴らしい名前であり、小生の好きな茶花であります。暗い紅色なのに吾もまた紅であると主張するのは、可愛いですね。

 昨日の入門の話の続きをお話しいたします。それは、「人間形成の座禅の修行は一生し続けるものである」ということに、少し説明が必要であると思うからです。

 われわれの人間形成の座禅は、臨済宗のやり方で、公案を用いて正脈の師家に独参する座禅の修行であります。この人間形成の修行のプロセスは、極めて独特なものであります。すなわち達磨大師以来約1500年間、日本に生粋の座禅が伝わってから約700年間に渉り、歴代の祖師方が工夫に工夫を重ねて人間形成教育システムを構築し今日に伝えているのであります。それは実に巧妙に且つ教育効果的にできているのであります。

 それは、少しずつ真っ直ぐ進め深めると云う教育法では無く、極端に左右、前後に大きく振らせながら人間形成を進め、仕上げて行くものです。たとえば公案の体系は、白隠禅師の作られたものを基盤にして、法身、機関、言詮、難透難解、五位、十重禁、末後向上に分類し、耕雲庵老師が歴史に残る瓦筌集を作られました。こういう低きから高きえ、浅きから深きえ導く公案の体系化のもとに、臨済禅の修行は徹底して絶対を極めさせ、それを透過した暁には、一転して差別の妙理を徹底させる。そのように切り口を振らせながら如是法を立体的に会得させるやり方をとっております。別の言い方をすれば、悟りを徹底して掴ませたら、次には悟りを徹底して削り落とし、悟りの臭みを脱落させるというやり方で、人間形成の座禅の教育システムが構築されているのです。

 したがって、古来から途中でやめてしまうくらいなら、最初からやらない方が良いといわれ、また途中でやめると片輪者を世に送り出すことになるとも云われているのであります。そしてまた人間形成の座禅の修行は、もうこれで卒業と云うことが無いのであります。師家になってもまだまだ修行の最中であり、そういう観点で、禅門に入るということは、死ぬまでやる必要があり、死ぬまでやるのが人間形成の座禅の修行というものであります。

 しかし昨日も申しましたが、死ぬまでやる覚悟を、修行する前に作ると云うことを、普通の人間に求めることは出来ません。小生の入門時点でも明確な覚悟はありませんでした。座禅の修行を継続する中でだんだんと死ぬまでが座禅の修行であり、座禅の修行というものはそういうものであると云うことが徐々に明確に自覚されて行くというのが、正しい指導のやり方であると考えております。

 小生の入門は、大学に入る前に高校の先生に連れられて、耕雲庵老師の摂心会に参加し、その提唱を聞いて、即 この人について行こうと思いました。人の出会いであり、理屈抜きでありました。小生が18歳、老師が65歳であり、大学一年の秋に入門させて頂きました。学生時代4年間は中国支部所属で、摂心会の時はいつも侍者をさせて頂き、その4年間の老師との触れ合いは今でも小生の糧になり続けています。本日はこれにて失礼。合掌

春潭 拝

 

コメント