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2020.08.19 Wednesday

夢窓国師出生の周辺(三)父方のルーツ佐々木氏とは

 

夢窓国師出生の周辺(三)父方のルーツ佐々木氏とは

粕谷要道

 夢窓国師の父は近江源氏佐々木朝綱とされている。伊勢国で生まれた国師は4歳の時に「母方一族の争い」(9代執権北条貞時−当時13歳、の時代に鎌倉で起きた政変・霜月騒動・貞時の乳母の夫である内管領の平頼綱に北条氏の外戚で頼朝以来の御家人であった安達一族与党が滅ぼされた−当主泰盛の元寇後の経済政策に関わる幕政上の対立が直接の原因とされている)から甲斐の国へ武田源氏(甲斐源氏)をたよって移住したが、同年八月母を喪った。と伝記に記載があるが、当時の父については伝記にはその後一切触れられていない。

 ただ、国師が「九歳の時、平塩山の空阿につき出家を志す。」とある。

 平塩山(平塩寺)は戦国時代に信長の兵火に遭い焼失し、それ以後廃寺となっている。

 現在は甲府盆地西南端に位置する山梨県三郷町(旧市川大門町)で、地元では「平塩の岡」と呼ばれている地域である、広大な丘陵地の大部分は、「やまなし名所古跡文化公園」となっている、土地の伝承では、鎌倉時代中期、夢窓国師一家が伊勢国より移住して、平塩の岡辺りに住み、はじめ平塩寺をおとずれた際には父親に連れられて山門を潜ったと伝えられている。20歳まで平塩寺で過ごすが、その後一時期親許(父の住居?)に帰ったとの一部記述もあるが詳しくは生没年とも不明である。

 甲斐源氏や平塩山については、後述するが、国師の父方のルーツも国師の人間形成において大きく影響したであろうことは大いに考えられることである。

 系図など記録によると国師の曾祖父佐々木泰綱の祖父、佐々木定綱(1142〜1205)は近江の国佐々木荘を地盤とする佐々木氏の棟梁佐々木秀義の嫡男である。

 平治元年(1159年)の「平治の乱」で源義朝に従い平氏と戦った父の敗北により、親子共に関東へと落ち延びる。その後、弟達と諸国を流浪していたが、以仁王の令旨が発せられると、伊豆国に流罪となっていた源頼朝の側近として仕え、弟経高、高綱と共に偶偶頼朝の舅北条時政、孫(後の3代執権泰時)子(嫡男宗時、2代執権義時)らとその挙兵を助けることになった。

 近江源氏佐々木氏は平家追討後は戦功により旧領を安堵され近江守護に復帰する。

 国師の曽祖父・佐々木泰綱(1213〜1276)の時代になると、源氏の血統である鎌倉幕府御家人佐々木氏や足利氏にとっても戦慄が走る事件・宝治合戦が起きる。当時の年代は;

1219年 鎌倉幕府3代将軍源実朝没。

1221年 「承久の乱」勃発・1ケ月後、幕府側総大将北条泰時勝利。

1224年 2代執権北条義時急死(51歳)。

      3代執権北条泰時就任(41歳)。

1225年 北条政子死去(69歳)。

 

永福寺、再現写真、下は寺跡地(ウィキぺディアより引用)

 

 

 永福寺跡(ようふくじあと)は、神奈川県鎌倉市二階堂「旧二階堂村」にある史跡。永福寺は鎌倉時代初期、源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建てであった事から二階堂とも称された。寺跡は国の史跡に指定されている。世界遺産候補となっている武家の古都・鎌倉の構成資産のひとつ。

 

 この時代、北条氏と肩を並べていたのが三浦氏である。三浦氏は、代々源氏に仕え、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵時にも大きな役割を果たした。

 頼朝死没後、北条氏は有力御家人の梶原景時、阿野全成、比企能員、畠山重忠を滅ぼし、二代将軍頼家を伊豆修善寺に幽閉して暗殺した。二代執権義時の時代には和田義盛が滅ぼされ、三代将軍実朝が暗殺されている。北条氏にとって残る有力御家人は三浦氏のみとなっていた。

 1242年(仁治3年)、「御成敗式目(貞永式目)」を制定するなど北条氏中興の祖と謳われた三代執権北条泰時の没後、4代執権となったのは孫の北条経時である。経時の時代は、4代将軍藤原頼経をとりまく御家人が存在し、北条得宗家に代わって幕府の実権を握ろうとする大きな政治勢力となっていた。
 これに危機を感じた経時は、1244年(還元2年)、藤原頼経(初代将軍頼朝の縁戚・2歳より尼将軍北条政子が実朝将軍を嗣ぐ傀儡将軍として擁立、補佐していた。)を辞任させ、その子の頼嗣を5代将軍に据えた。
 ただ、頼経は将軍職を追われた後も鎌倉にとどまり「大殿」(おおいどの)と呼ばれ、なおも勢力を持ち続けていた。
 1246年(還元4年)3月、経時が重病に陥ると、得宗家の私的会議「深秘の御沙汰」により弟の時頼(19歳)が5代執権となる。
 時頼の執権就任後間もない5月、名越(なごえ)光時が前将軍の頼経と結んで時頼を討とうと企てるが、時頼はその陰謀をうち破り、光時は伊豆江間(義時旧領地・出身地)に流され、頼経(28歳)は鎌倉追放となり京都に送還される「宮騒動」が起こる。

 そんな中、外様御家人の最大勢力、三浦泰村(42歳)の存在は大きかった。
 『吾妻鏡』によると、時頼が執権に次ぐ地位、連署に3代執権泰時の異母兄で、時頼自身の舅ともなる北条重時を迎えたい旨を相談した折、「然るべからず」という泰村の一言で凍結されてしまった(1246年(寛元4年)9月1日の条)。

 また、泰村の弟光村は、宮騒動によって京都に送還される前将軍に供奉(ぐぶ)し、 「今一度相構えて、鎌倉中に入れ奉らんと欲す」 と話していたのだと記している。(1246年(寛元4年)8月12日の条)。
 以前より前将軍藤原頼経を中心とする反執権勢力に近づくなど不穏な動きをみせていた三浦泰村を危険視していた時頼は泰村の弟光村が、頼経をとりまく陰謀に加担していたことを捉えて、三浦氏を追い込んでいく。
 一方で、御家人の中には勢力を増した三浦氏へ反感を持つ者も多かった。その急先鋒が時頼の外祖父・安達景盛である。(景盛は頼朝の乳母比企尼の長女・丹後の内侍の子であるが、その一方、景盛は源頼朝のご落胤だとする説も囁かれていたが、このことが後の霜月騒動の一因になったともいわれている。)

 また、景盛は早くから熱心な佛道修行者で、承久の乱後には総大将泰時を伴って、京都、栂尾高山寺の明恵上人に参禅し、和歌の贈答などもしている、実朝没後には政子に随い、実朝供養の金剛三昧院を高野山に建て、政子も没すると出家して高野山に籠もっていたが、鎌倉の事情は常に把握していて、高齢にかかわらず鎌倉に戻り、子義景と孫泰盛(後年の霜月騒動の当事者で内管領らに一族ともに粛清、討伐された)に三浦氏を警戒するよう促している。

 そのような情勢の中の1247年(宝治元年)5月21日、鶴岡八幡宮の鳥居前に「三浦泰村は近日誅罰されるので謹慎するように」との立て札がたてられた。誰の仕業かは不明であったが、これによって三浦泰村も武器、武具、食料を由比ヶ浜につけ、三浦邸に運ばせる。
 そして、1247年(宝治元年)6月5日、安達景盛が、子の義景、孫の泰盛に命じて三浦邸を襲撃させる。
 この期に及んで時頼(ときに20才、前年執権に就任したばかり)も三浦邸襲撃を決定したため、一気に合戦の火ぶたが切られた。
 『吾妻鏡』には、時頼が事前に三浦邸に赴き和平交渉にあたっていたという記事が載せられているが、果たしてその真相はどうだったのか。『吾妻鏡』の記録と実際の北条氏の政略、戦略の乖離、意図的齟齬、合理化、表面糊塗は初祖時政以来のもので、常に眉唾ものである。

 筋違い橋の三浦邸は現在の横浜国立小学校の敷地の一部である。ここで773年前に宝治合戦の戦端が開かれたのである。

 邸に火をかけられた三浦泰村は、頼朝公の法華堂に籠った。

 永福寺(ようふくじ)で陣を構えていた弟の光村は、永福寺に合流することを勧めたが、何故か泰村に戦う気がないことを知ると急遽、法華堂へ向かったという。

 法華堂で泰村と光村は一族500余名とともに自刃して果てた。

 泰村の妹を妻としていた毛利季光(大江広元の子)は、「兄を見捨てる事は、武士のする事ではない」と説得され三浦氏とともに自刃したという。

 後日、この合戦の追討軍によって千葉秀胤も滅ぼされている。

 

 三浦泰村の人物については承久の乱や儀礼の場での武術(弓馬に通じていた)は達者であったが、非常時、切迫した状況では判断力が鈍くなるようで、武者としては一流であるが武将としての才能には恵まれていなかったとの後世の評価が一般である。

 藤原定家は『明月記』で「八難六奇の謀略、不可思議の者か。」と記している。『古今著聞集』は「(或る時、)将軍御所の侍の間の上座を占めていた泰村は、さらに上座に若い下総(しもふさ)国の豪族・千葉胤綱が着座しているのを不快に思った泰村が【下総の犬めは寝場所を知らぬな】とつぶやくと、胤綱は【三浦の犬は友を食らうぞ】と切り返し、かつて同じ御家人の和田義盛を裏切って、専制権力を強める北条得宗家に讒言して、和田氏一族を滅亡させる和田合戦の端緒になった生き様を批判した逸話が記されている。

 

駿河の豪族三浦氏の邸宅があった筋違い橋と法華堂跡

 

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