老師通信

人間禅の老師による禅の境涯からの便りです。
人間禅のホームページにもお立ち寄りください。

人間禅のホームページはこちら 老師通信一覧はこちら

 

<< 続「AI時代と禅」〜〜自分らしさを出せ!〜〜 | main |
2020.09.11 Friday

夢窓国師出生の周辺(四)宇多源氏について

 

夢窓国師出生の周辺(四)宇多源氏について

粕谷要道

 伝記で夢窓国師(の父)は宇多源氏(佐々木氏)とされている。宇多源氏とは宇多(うだ)天皇の第八皇子、敦実親王(あつみしんのう)が臣籍降下(皇族が臣下の籍に下る)した際に「源」の賜姓(しせい)を受けたことにより、敦実親王の子息、従一位、左大臣源雅信(まさざね)(920〜993)が宇多源氏の始祖とされることに由来する。
 宇多源氏から近江源氏佐々木氏へたどる前に、まず源氏とは?について叙述することにしたい。「源氏姓」の由来、歴史については、下記のようなことがいわれている。
源氏姓の由来について;    
 源氏姓とは皇族が臣下の籍に降りる臣籍降下の際に「源」の賜姓を受けたもので、第52代嵯峨天皇(786〜842)(第50代桓武天皇の第二皇子、母は皇后藤原乙牟漏、皇后は橘嘉智子(檀林皇后)、同母兄に第51代平城天皇、異母弟に第56代清和天皇他)から分かれた嵯峨源氏や清和天皇から分かれた清和源氏、さらに第58代光孝天皇は藤原基経の後援を受けて即位した際、斎王として内親王宣下した皇女を除く全ての子女に源氏姓を賜姓したが、源定省とその子源維城は復帰して、宇多天皇(第59代)、醍醐天皇(第60代)として即位した。
 第59代宇多天皇から宇多源氏(近江源氏・佐々木氏)が分かれ、また江戸時代に成立した正親町源氏に至るまで数百年間にかけて二十一の系統(流れ)があるとされている。姓(かばね)は代表的なものとして、平氏・藤原氏・橘氏、とともに「源平藤橘」(四姓)と総称されている。
 多くの源氏は一代・二代のうちに朝廷で高位を占めることはなくなったが、村上源氏の子孫である源師房流(中院流)は上流貴族の地位を占め続け、建久七年の政変で摂関家を越える権力を手にした源通親や、後醍醐天皇第一の側近として南朝を指揮した北畠親房、明治政府の岩倉具視などがでている。
 最も歴史に名を残したのは、通親と藤原伊子との間に生まれた六男で、幼くして両親の死に遭遇したその少年は出家して道元と名乗る。南宋から帰国して「曹洞宗」を開くのは通親の死から24年後の事である。ただし、道元禅師の両親が誰であるかについては諸説あり、通親と伊子を両親とする江戸中期の面山瑞方(曹洞宗)による訂補本『建撕記(けんぜいき道元禅師伝記)』の記述には平成年代の研究者より疑義が呈されている。それらの説では、通親の子である、公卿で歌人、村上源氏久我家分流堀川家、堀川通具(1171〜1227)が道元禅師の実父としている。ただ、久我家分流堀川家は室町期に途絶えている。
 また、源通親の養子、証空は法然上人に弟子入りし、浄土宗西山三派の初祖となった。
 さらに宇多源氏・清和源氏・花山源氏など一部の家系も堂上家として存続している。
 また源氏の子孫の一部は諸国の受領(ずりょう・じゅりょう)の長官 (かみ)を務め、任地におもむかない遥任国司(ようにんこくし)に対し,任国に行って実務をとる国司をも務めた。平安時代中期以降,中央政界に進出しえない中小貴族が受領となり,その徴税権によって富をたくわえ,任期が終ると土着するものもあり,また富力により院政の中心勢力となるものもあった。南北朝時代以降,国司制度がくずれて、国務と無関係な名ばかりの国司が多くなり,やがてそれらのものをも受領と呼ぶようになった。



ささりんどうと紋章、嵯峨天皇宸翰

 

 これらの受領・在庁官人の多くが土着して武士化したのである。
 特に清和源氏・源経基流れ河内源氏は、鎌倉幕府を開いた源頼朝を輩出したことで武家の棟梁と認識されるようになり、その流れを汲む有力氏族足利氏の足利尊氏は室町幕府を開く。江戸幕府を開いた徳川家康を出した三河松平氏なども河内源氏後裔を称している。皇族からの臣籍降下そのものは、は律令(りつりょう)制度(律は刑法、令は行政法、民事法などを含むもの)成立以前から存在しており、古くは公の姓(カバネ)を与えられた諸氏や、天武天皇の時代に真人のカバネを与えられた諸氏、奈良時代の橘氏や、光仁天皇、桓武天皇、平城天皇の子孫なども存在する。
 弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の皇子女8人を臣籍降下し、源姓を与えられたのが最初の源氏で、これらの賜姓は、一定の年以降に生まれた子女のうち、生母の家格が低いものに一括して行われた。この賜姓は「嵯峨の詔」が述べているように、朝廷歳費の節約が理由とされる説が大勢を占めていたが、上級貴族として皇室の藩塀(はんぺい―垣根)とすることが目的であるという説もある。しかし一部の氏族を除いては没落していく例が多く、藩屏としての役割を十分に果たしたものではなかった。「源氏」つまり「源−みなもと」は皇室と祖(源流)を同じくするという意味である。
 源氏の代表的な家紋「笹竜胆ささりんどう」は日本最古の家紋と言われている。多くの秋草が枯れ、野山が寂れかかったころ、楚々とした紫の姿をあらわす「ささりんどう」は中国原産の竜胆(リュータン)が訛り、和名・りんどうとなり、葉が笹に似ているところから「ささりんどう」となった。という。
 家紋として用いたのは村上源氏の久我・六条・中院などの諸家、宇多源氏などで、現代では鎌倉市の花ともなっている。

 

コメント
コメントする








 
Calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode