古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」(11)

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――古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」―11)―

丸川春潭

 石蕗(つわぶき)が似合う季節になってきました。名前を忘れましたが、女流作家が、石蕗の黄色を暗い黄色と表現し、その魅力を語っておられました。派手な黄色ではなく、しっとりと地味な黄色ですが、それだけに深い味わいがあります。そして大きなつやつやとした葉っぱからすっと立っている風情がいいですね。

 

 前回は、朝の一炷香の座禅によって、前頭葉が活性になり、感性豊かな一日になると、一日一炷香の大切さについてお話しました。

 しかし、この一日一炷香の座禅の中身について深く入らないと、一日一炷香の座禅の不可欠な理由がはっきりせず、一日一炷香の座禅実践のドライヴィングフォースが自発的になりません。

 

 どういうことかと云いますと、一炷香(40分から50分間)の座禅の最初の15分間と真ん中あたりの15分間と最後の15分間における三昧の深さを注意深く点検する必要があります。

 

 ここで三昧の質・レベルは本来的に云って、尺度できるものではないのですが、尺度せずにただ闇雲に一炷香の時間を主観的に一生懸命坐禅していると云うばかりでは、目標もないし、進捗の結果も判らず、多くの人の場合一日一炷香がマンネリになり、一炷香の座禅をやってもやらなくても同じように思われてきて、終には一日一炷香が歯抜けになってしまいがちなものです。

 

 そこで座禅の本義の第一義から云うとあまり好ましいことではないのですが、第二義に下がって、数息観評点基準と数息観評点表を小生が作り公にしております(知りたい方は、要求して下さい)。

 

 一般的に云いますと、座禅の時間が進むに従って、三昧が深まって行くものです。すなわち、最初の15分間では雑念なしに数息できるのが1から5までもなかなか数息できないという状態が、中の15分で、1から5まではでき出す。しかし10まではできない。最後の15分で1から10までがやっとできるようになって、70点の評価まで到達する、という標準的なパターンがあります。

 

 この70点を毎日クリヤーするには10年くらい平均して掛かるもので、初心者では、1から5までが、最後にやっとというくらいなものです。

 

 申し上げたいことは、一日一炷香を始めた当初の三昧力は、非常に低い状態であり、それが一炷香の間でだんだんと三昧力が付いて来るということで、もし一炷香ができなかったら、とてもひどい低レベル三昧力・人間力の状態で、仕事に掛かることになったり、人と対面したりすると云うことです。

 

 責任ある人であればあるほど、又大切な一日であればあるほど、この一日一炷香なしに、すなわち低レベルの感性で低レベルの人間力で事に当たると云うことはあまりにもお粗末であり、無責任であるということです。

 

 もう一度繰り返しますと、一炷香の前後で、三昧レベルの大きな差があるという認識がなされれば、一日一炷香をやめるわけに行かないと言うことになるのです。

 

 ここが大切なところであり、居士禅者(社会人で人間形成の禅の道を進もうとしている人)にとってゆるがせにできないところです。理屈抜きに行が実践できるかどうかです。 今日はここまで、さようなら!

 

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