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2020.01.15 Wednesday

「今」とは?――今は不可思議なものである――

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「今」とは?

――今は不可思議なものである――

丸川春潭

 人間の知能のはたらきによって、過去から現在そして未来へと連続していることを想定しており、また経験の記憶でもこの連続性は何度も確認され習慣化している。

 若者は未来を頼りに現在を生きている。老人は過去を頼りに現在を生きている。若者は人生に終わりがあると云うことは知ってはいるが、自分の死は他人事である。老人は常に人生の終末を意識し、余命が日一日と短くなっていることを実感している。

 しかし考えてみれば、過去は記憶でしかなく、また未来は想定でしかない。どちらも観念上のものでしかないのである。リアルな実在は過去と未来の接点である「今」にしかないのである。

 しかし唯一存在している今には時間の長さはなく、今は過去と未来の接点でしかない。今は瞬時に古くなり瞬時に新しくなっている。今しかリアルな実在はないが、その今は留まることなく流れている。

 われわれが如実に生きているのは今だけであり、一瞬先はないかも知れないのである。ウクライナの旅客機のようにミサイル二発で機体ごと屑になるのである。先ほどまで機内食のワインを傾けて談笑していたのが、一瞬の間にである。

 われわれがアクションを取れるのは今だけである。過去はどうあがいてもやり直すことは出来ないし、未来はどんなに準備万端でも思い通りにならないものである。

 禅者は今を常に意識し、今の掛け替えのない重さを知り、今を大切にし、今において全生命を燃焼させるのである。禅は常に今に焦点を当てており、今をテーマにした公案もあるし、禅語にも今を謳っている言葉や詩が沢山ある。

 【十世古今、始終当念を離れず】

 【撥草三玄は只見性を図る。即今、上人の性いづれの処にか在る?】

 今は不可思議なものである。

 すなわち思議することが不可なものである。思議することは外野席から評論しているに過ぎない。

 不可思議に徹して「今に生きる!」となると、これはもう禅者である。その極めつけが「念々正念 歩々如是」である。

 過去と未来の狭間の幅のない接点が流れている「今」。この「今に生きている!」ところの境涯を表現するとすればこの句になる。人間形成の完成した境涯であり、耕雲庵立田英山老師の境涯であり、老師が初めて創られ遺された人間形成究極の言葉である。

 われわれは恵まれている。目標とすべき境涯が明確に示されているのである。

焚香 九拝

 

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