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2014.02.02 Sunday

「科学と座禅」その1

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「科学と座禅」その1

丸川春潭

 今日から「科学と禅」について、少しずつお話しします。

 科学は万能ではありません。

 人間禅を戦後作られた耕雲庵立田英山老師に小生は、19歳の時に岡山の中国道場で入門しました。

 老師は、東大で生物を勉強され、中央大学の教授をされた科学者でもありました。

 老師は、ご著書の『人間形成と禅』の中で、次のようなことを云われています。

 “死に対する恐怖”からの根本的解決は、科学では出来ない。”

 また、20年前の頃、世界的に読まれた、Gaarder著『ソフィーの世界』という分厚い本があります。

 その書き出しの中で、少女ソフィーが、“私は誰?”“私はどこから来たの?”と言うことを問いかけています。

 この問いに対する根本的回答は、科学では出来ません。

 科学の発達は目覚ましいものがあります。宇宙科学も生命科学も、IT技術の発展も全て目覚ましい科学の産物です。

 しかし、科学がどんなに発展しても、科学ではどうしようもないことも人間にはあるのです。

 科学の領域とは別に、宗教の領域・宗教の切り口が、人間および人間社会にとっては、必要不可欠であります。

 この認識をまずしっかりと受け止めなければなりません。

 座禅も宗教の中のひとつですが、社会の中で、人間にとって、宗教を、そして座禅をどう位置づけるかを、マクロから段々フォーカスして見ることも大切です。

 すなわち、科学と座禅を対比し、どう関わるのかを考えてみたいと思います。

 下記の図を見て頂きたいと思います。
 これの左側が科学の領域の相対樹であり、左側が宗教の絶対樹です。
 相対樹の共通するところが思考であり、脳科学から云えば頭頂葉が関わる領域です。

 これに対して、絶対樹の方は、武道があり技芸道があり宗教各派があり、そして共通する幹のところが「三昧」となっています。
 脳科学で云えば、前頭葉が関わる領域です。

 全体を一人の人間としますと、左側の相対樹は知恵の知・知性であり、言葉で全て表現できる領域です。

 それに対して、右側の絶対樹は知恵の慧・感性であり、深く入れば入るほど、言葉を超えた領域になります。

 

 

 仕事は、この両方がコラボレーションして、はじめて良い仕事が出来ます。心の教育とか、人間形成は、右の絶対樹の領域を充実させることです。端的に言えば、三昧を身につけることだと言えます。

 戦後の日本および日本人の問題として、嘗て日本および日本人の強みであった右の絶対樹の充実が、偏差値教育とか高度成長時のエコノミックアニマル化の中でだんだんと弱くなってきたと考えます。

 この右の絶対樹の充実を図るひとつの有効な手段が、座禅であります。
 この座禅をどう有効に使って、右側を充実させるかということや、右を充実させると左とのコラボレーションがどう改善され、どういう成果に発展するかを少しずつ次回からお話しします。

 

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