「科学と禅」その3
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「科学と禅」その3
丸川春潭
今日のお菓子は、外郎(ういろう)です。外郎は名古屋だけと思っていたのは大間違いでした。山口参禅会の折り、山口市内の瑠璃光寺五重塔<国宝>の脇で、山口ならではのお菓子は是れだ!と云われて買ったのが外郎?!でした。
ウィキペディアで調べると、名古屋、山口、小田原、伊勢、京都、神戸、徳島、宮崎の8カ所で土地の銘菓として昔から外郎があるようです。小生は、名古屋と山口のものしか食べたことがないのでそれ以外についてはコメントできませんが、一度は一口ずつでも食べてみたいものです。
名古屋のものと山口のものはかなりな相違があり、それは原料の違いから来ているようです。名古屋のものは米粉が主原料であり、山口のものは葛粉が主原料のようです。どちらもそれぞれの個性を持って美味しい和菓子です。
ぷりぷりした美味しいお菓子の後は、がちがちの難しいお話しです。
今日は、科学と宗教は異なる領域であるが、本質的には相反しない、ということについてお話しします。
科学と宗教の領域の違いは、二回前の時に、相対樹と絶対樹の図面を示しながらお話ししました。あの図の左がScience・科学の領域であり、右がSpirit・宗教の領域です。
ところが世の中には、この科学の領域と宗教の領域の異なった領域であることを無視して、ものを考えたり発言したりしている場合が結構多いのです。
そうなると、両者が互いに片方を誹謗したり、その価値を認めなかったり、論旨が通らず、お互いの足の引っ張り合いをすることになります。
すなわち科学の領域で宗教を解釈・尺度したり、宗教の領域で科学を解釈・尺度してしまうわけです。
前者は、宗教は反科学的であると決めつけ、宗教など無くて良いんだと宗教無用の論陣を張ります。そして科学万能の信仰者になります。
後者は、古くはガリレオの宗教裁判であり、最近で云えば後述の原発や臓器移植に対する宗教家のとんちんかんな発言になります。また科学で明らかになった真実に相反することを宗教的行事や教義の中にいつまでも残し続けると云うことになります。
また科学の領域と宗教の領域はまったく違うと云うことを認識していないと、よくあることですが、科学の領域で未知なるものを宗教的に解釈して変な非科学的な迷信を言い出したりすることになります。
逆に、宗教の本質、教義を科学の領域で解釈したり、科学で尺度したり、その是非を論じたりすると、とんでもない誤解を巻き起こすことになります。言葉は悪いですが、味噌と糞と一緒にすると云うことですが、これは過去にも現在にも沢山あり、それがために傷つけ合ったり非難し合ったりして、結局は人類の進歩発展に大きくブレーキを掛けて来ているのです。
大切なことは、事実を基礎として普遍性の法則を客観的に把握しようとする科学と、永遠なる真理に合掌し一体化しようとする宗教とは、本来矛盾するものではないのです。これが人間形成の禅の見解であります。
更に、お互いが相手を尊重すると云うことにとどまらず、範疇・領域が違っていることを明確にしておいた上で、もっと積極的にお互いが相補っていかなければならないと考えます。これは居士禅者(脱俗出家した僧籍ではなく、一般社会人でありながら禅を学び修行している者)の立場からの見解であり発信であります。
そうならなければ、これからの新しい地球人類の持続は極めて厳しいものになると云うことを、次回からお話ししたいと思います。
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