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2014.02.27 Thursday

「科学と禅」その6

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「科学と禅」その6

丸川春潭

 2月下旬は関東地方で最も寒さの厳しい頃であります。今年は雪も多かったですが、房総道場(四街道市)や坂東道場(潮来市)では、霜柱が苔を押し上げて枯らしてしまうので、本部道場(市川市)の苔山のように、冬季は落ち葉で覆うのが賢明であります。

 この霜柱に因んだ、「霜ばしら」というお菓子が、仙台にあります。見栄えと云い、食べた感触と云い、ファンタスティックな銘菓です。丁度季節柄ご紹介しておきます。お抹茶のお菓子にもなります。

 

 前回の続きは、「科学・技術の進歩と仏教思想・禅」であります。

 科学・技術の進歩はめざましいものがありますが、ややもすればその進歩は、人類的視点や地球的視点での検証なしに、科学・技術ジャンルの内側だけに通用する独善的なそして近視眼的な判断で科学・技術を発展させる危険性を常に持っています。

 歴史的に見ても、生物化学兵器の研究、原子爆弾の研究、人間クローンの研究などを初めとして、科学・技術の進歩は必ずしも人類の平和とか幸せと相反するものも少なくないのです。

 したがって科学・技術の進歩に対する倫理は、科学・技術の中ではなく、外部のたとえば宗教サイドからの検証が不可欠になるのです。

 

 しかし、残念ながらそれに対する宗教家を含めた識者の提言が、科学・技術の本質を理解しないままの無責任な放談になってしまいがちであると云うことも事実であり、これは正しい科学・技術の進歩発展を大きく阻害するものになります。

 現代では科学・技術の進歩発展が、専門的にまた社会との結びつきも多面的になっているために、宗教家などの科学・技術批判が、幼稚で的を得ていないケースが多くなってきているのです。

 まさにガリレオの宗教裁判を現代においてもやりかねない危険が常にあるのです。

 全日本仏教会の会長が「いのちを犠牲にする原発はやめよう!」と談話を発信された。原発とか臓器移植が“いのち”と関わるから、これは宗教の領域であるとの見地からの発言ですが、そんな単純な発想からの批判は、如何なものでしょうか?

 科学技術の発展に対して、科学技術の中だけの判断ではなく、宗教サイドの考えも入れて科学・技術の発展を考えなければならないと云うことは、総論として正しいことであります。

 しかし実際には、宗教者が批判をする対象の科学技術のバックグラウンドやその歴史についてしっかりと勉強しておかなければ、現代版ガリレオ裁判をやってしまうことになります。

 命に関わるから宗教者がもの申すのではなく、原発の歴史とその長所短所とを総合判断してから批判すると云うことでなければならないのです。

 次回以降は、現在の科学・技術に関わる資源枯渇の問題と地球環境の課題を原発問題にも関連させながら、居士禅者として私見を述べたいと思います。

 

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