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2014.04.24 Thursday

「科学と禅」その11

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「科学と禅」その11

丸川春潭

 前三回のお菓子のお話しは、伊豆網代の間瀬菓子舗でしたが、今回は四国愛媛県、旧川之江市(現四国中央市)の柴田モナカをご紹介します。

 

 この土地のご縁は、人間禅創立の昭和二十四年から間もなくの時に、この旧川之江で四国支部が結成されており、人間禅には所縁の土地です。

 

 ここの柴田モナカ本舗は、江戸中期創業であり、四国支部ご巡錫の耕雲庵老師が好まれたため、人間禅では有名なお菓子になりました。

 特徴は、モナカの皮がしっかりしていることと、小豆餡が美味です。お抹茶のお菓子としても結構ですので、ぜひお試しください。

 

 

 お菓子の後の甘くないお話しは、 前回は、テーマとしては今日的課題である「原子力発電(原発)」を取り上げ、その背景すなわち三年前の3.11以前の認識についてお話ししました。

 

 今回は、一歩踏み込んで、3.11以降の経験を踏まえて、変更すべきこと、変更すべきでないことを整理してお話しします。勿論小生が、科学者であり且つ禅者であるという観点での私見であります。

 

1.東京電力福島第一原子力発電所被災後の見直しと課題

 2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東日本大震災は、日本史始まって以来の大災害をもたらしました。

 そして、まことに痛恨のことは、人為的な原発トラブルによる二次災害の発生であります。

 

(1)想定外トラブル存在下における原発のフィジビリティ

 世界的に見て日本の原発の安全対策はトップクラスにあったと考えられますが、想定を超えた大津波であったとは云え、完全にこの技術と政策が失敗策であったことを歴史的に証明してしまいました。

 

 考えてみれば、原発の敷地直下での大地震が生じないという補償はなく、テロとかテロ的国からの攻撃の標的にならない補償もないことを考えると、地球温暖化のための切り札として、原発で良いのかと云うことを、結果論になってしまいましたが反省をし、改めなければならないと考えています。

 

 すなわち核燃料終末処理が未解決であるということで、原発が未完成プロセスであるという以前の問題として、地震国日本で、またいろいろなテロの不安が存在する現代においては、あまりにもリスクが大きすぎる原発施策と考えざるを得ないという認識です。

 

(2)地球環境問題は脱原発と地球温暖化対策の両立

 しかし現在、経済的にまた政治的に、地球温暖化問題抜きに原発是非論を展開している論陣がほとんどであります。

 これは3.11以前の原発政策が、地球温暖化という現代人に突きつけられた大命題にたいしての苦渋の選択であったという歴史認識を忘れてしまった場当たり発言でしかないということです。

 

 すなわち脱原発は原発そのものの是非論ではなく、地球温暖化課題に対する対応変更であって、したがって脱原発には必ず、温暖化に対する対応変更の代案を示さなければならないのです。

 

 そして当然でありますが、日本社会で明日から直ぐ電力供給を落とすことはできないのですから、リスクはあるがしばらく原発を稼働させなければならないのも仕方がないことでありますが、しばらくの間を如何に短くするかが問われているのです。

 

 まさに3.11以降は、脱原発へのそして地球温暖化対応変更への移行期であります。

 

 脱原発の対応策とその変換時期をどう設定するかを冷静に、そして早急に見極めなければならないのです。勿論ですが、原発の新規建設は論外であり、再稼働も如何に少なく抑えることが出来るかであります。

 

 代替案を提示さず、移行時期を云わず、感情的に脱原発を唱えることは、科学に背を向けた無責任な人であり、また選挙とか政治力学にこの人類的課題を利用しようとしているだけの人と云わざるを得ません。

 

 また逆に、発電コストを上げないためにというコンセンサスを利用して、電力会社の経営に荷担した政治行政は、絶対に許されないことです。

 

(3)地球の自然と人間の自然のSustainability(持続)を可能にする人間の叡智

 物、自然、地球は、現代人にのみある物ではありません。

 それらは全て、未来の人類より先に使わせてもらっているという認識が必要であります。

 したがって使った後は、出来るだけ元通りにして次の世代に返すのは当たり前のことであります。

 

 もっと大きく目を開いてみれば、地球は人類のためのみにあるのではなく、動物植物全ての種が地球上に生存し続けているのであります。

 人類が、地球の資源や環境の限界を弁えないで、我がままなに活動して、多くの種が現在も絶滅していることも見過ごしてはならないのです。

 

 科学は未だ自然のほんの一部しか解明できていません。

 人類の文化・文明も未だ途中段階です。

 自然の摂理に学ばなければならないことは、科学の領域においても宗教の領域においても、まだまだ沢山あります。

 

 禅によって見、極める道は、科学者が純粋に科学の道に則って、自然に迫ることを正しくサポートします。

 また価値観の転換は、釈迦牟尼の悟りまでさかのぼって、それを現代人が納得して受け入れることが必要不可欠です。

 地球の持続(サステナビリティ)のために。

 

 次回は、「科学と禅」の総括を話させて頂きます。

 

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