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2020.02.16 Sunday

坐禅を志す君に

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坐禅を志す君に「一日一炷香」を!

井本光蓮

 坐禅の修行は、とにかく、数息観(※註1)の時は数息観に成りきれ、公案(※註2)工夫の時は公案に成りきれと云われる。しかも「一日一炷香」と云って、毎日線香1本分(約45分間)を坐れと云われる。つまり「成り切る」ことと、「続ける」ことは、車の両輪なのだ。一つでもむつかしいことを、二つ同時に要求される。だが、この二つの事は、それぞれ別の事だろうか?

 先ず、「続ける」ということが如何に大切であるかは、多少とも剣道や茶道などを稽古した人なら誰でも知っているだろう。その「続ける」ということを煎じ詰めると、結局は一念一念を相続(持続)するということになる。

 「念々正念」という言葉があり、その深い意味に今は触れないが、この言葉には「成り切る」という意味と「続ける」という両方の意味がある。成り切れなければ続かないし、続けなければ成り切れないのだ。

 折角坐禅に志したのだ。頑張って石にかじりついても、「一日一炷香」を続けよう! そうすれば、三昧(※註3)(成り切る)の境地は、君の骨折りに正比例して必ずや君のものとなるだろう。そして遂には転迷開悟の実を挙げて、僕らの理想である「念々正念」の境地に、一歩でも半歩でも近づこうではないか。心の底からそう願っている。

 

 註1 数息観:坐禅を組んで静かに自分の息を数える。印度で古くから行われた観法で、それが仏教と共に中国へ日本へと伝えられた心身の鍛錬法。

 註2 公 案:入門して師家から修行者に授けられる転迷開悟のための問題。

 註3 三 昧:三昧には、第一に心を一事に集中してみだりに散乱させぬ働き、第二に病気の我が子を看病する母親のように、自と他が一枚になる働き、第三に「風疎竹に来る、風去って竹声をとどめず」の句のように、外界の刺激を正しく受納し、しかもその刺激が去れば後にいささかの痕跡もとどめぬ働きがある。

 

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