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2020.03.06 Friday

修行の階梯と数息観の深度

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修行の階梯と数息観の深度

丸川春潭

 令和2年2月の東京支部摂心会の講演として、もう一つ「修行の階梯と数息観の深度」について話して欲しいという要望がありました。このブログはその講演の要約のつもりで認めます。

 修行の階梯には古くから、見性入理・見性悟道・見性了々と三段階が言い伝えられてきています。また江戸時代の白隠慧鶴禅師はこれをもっと細かく仕分けて、法身・機関・言詮・難透難解・十重禁・末期向上とされています。人間禅では耕雲庵英山老師が、地大級・水大級・火大級・風大級・空大級・識大級・師家分上の7階級に制定されました。

 これらの修行の階梯と数息観の深度の関係はどうかという質問は、聞きたい所以はよく判りますが、なかなか答えにくいものがあります。すなわち一般的には両方ともうたた入ればうたた深く、うたた登ればうたた高いものではありますが、両者の一般的な関連はないといった方が正しいというものでしょう。

 そう言ってしまうとこれで終わりですので、一つの事例として小生の場合を思い出しながらお話ししてみます。17〜18歳の時に高等学校の水島古藤先生に連れられてその当時の人間禅中国支部(現岡山支部)の摂心会に連れて行かれて、耕雲庵英山老師に初めてお目に掛かり、19歳の秋に入門し、翌年の春に初関透過を耕雲庵英山老師の下で許されたのですが、その頃は月例会に出たときだけは座禅し数息観をしていましたが、一日一炷香は全くやっていませんでした。すなわち数息観の深度はほとんどゼロでした。入門したときの摂心会は大学の行事があって入門して1,2回参禅しただけで下山してしまいました。翌年の春休みは先ず神戸での阪神支部の摂心会(磨甎庵劫石老師主宰)に1週間詰め切りで参加し、円了して神戸から岡山に帰ったのですが、親元の実家には帰らず、その足で耕雲庵英山老師主宰の中国支部摂心会に参加しました。摂心会の梯子をして岡山の摂心会の三日目くらい(阪神支部から数えれば10日くらい)に見性したのです。すなわち初関透過は、数息観の修練をそれほど積まなくてもしっかり摂心会に詰めさえすれば可能だったという一事例です。

 その後の進級は不確かですが、火大級が10年後の30歳、風大級が10年後の40歳前後、空大級が50歳手前、識大級が55歳頃、師家分上が64歳頃です。これに対して、数息観の深度は60歳頃すなわち200則の公案が終わった頃は、数息観評点で70点くらいでした。一炷香45分の最後の5分か3分くらいになってやっと1から10までの一念不生ができだしたのを覚えています。すなわち70点までになるのに小生は40年かかったということです。その間、耕雲庵老師が、妙峰庵老師が、磨甎庵老師が、一日一炷香が大切だと異口同音に耳にたこができるほど聞かされていましたから、結構真面目に一日一炷香はやっていたのにこの程度でした。ただこの時期は未だ数息観の評点付けを始める前でしたので、数息観を日進月歩で深めるんだという強い意志はそれほどなく、師家にぶつかっていって公案を透過しようという意識の方が強かった時期だったと思います。しかし公案修行が一通り終えてからの10年くらいの数息観の深まりはめざましいものでした。修行の最大課題が公案透過から数息観を深めるということに変わったということもあり、公案修行よりももっと骨折ったと云っても良いくらい数息観にそれ以降は苦労しました。その為もあって数息観の深度を深めるために数息観評点付けを始めたのもこの頃からでした。70点から75点に深めるのに大変な苦労をしたのは覚えています。75点以上の数息観の進みにも骨折りはありましたが若干は楽しむというのか余裕で年と共に数息観が段々と深まって行っています。

 本題に帰って、修行の階梯と数息観の深度の関係で小生の実際の経緯から考えると、200則の公案透過には70点レベルの数息観深度でも行けたということが一つは云えます。ただこれは小生の事例であって理想的なモデルでは決して無いと思っています。もっと修行の階梯と数息観の深度が比例して進むのが本道だと思います。しかし公案修行が済んでから数息観の深度をしっかり進めたということと、数息観の深度が深まってから透過した公案を自分だけで見直しすることで禅の深さと醍醐味をしっかり味わえたと云うことを考えると、小生のようなタイプもありかなとも思います。歴史的に見ても、大応国師の法嗣の大燈国師の事例では、数年の公案修行で嗣法しその後に20年の聖胎長養を命じているのもタイプとしては似ているかも知れません。

 修行の階梯と数息観の深度との階梯は様々なタイプがあるので、一概には云えないと云うことですが、目的地は同じですので自分流に進んだら良いということでしょう。強いていえば、数息観の深度は早く付けたに超したことはないし、数息観の深度は間違いなく公案修行の進行に好影響はあるということは云うまでもないことです。ご精進下さい。合掌

 

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