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2019.01.06 Sunday

和気満堂(その1)

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和気満堂(その1)

丸川春潭

 みなさま、明けましてお目出度うございます。

 季刊誌『禅』の新春号の巻頭言に、「和気満堂」というタイトルで拙文を書かせていただきました。これは、人間禅の『立教の主旨』第3項「人間禅は、正しく・楽しく・仲の良い 人間味の豊かな人々の家庭である」と相通じる考え方であります。

 和気満堂は素晴らしい言葉であり、実際に家庭において人間禅の集まりにおいて、これが如実に実現することが目標であるとしても良いものです。

 しかしこの実現は極めて難しいのも現実であります。

 それは何故か?

 その難しさはどこから来ているのか?

 「和気満堂」の難しさは、「正しく・楽しく・仲よく」の最後の「仲よく」の難しさと共通するものがあります。すなわち「正しく」「楽しく」がしっかりできていなければ「仲よく」にならないし、また同じように「和気満堂」も実現しないのです。

 もう少し具体的に何故「仲よく」できないのかを見てみると、「正しく」が個人的になり過ぎて「仲よく」ができない場合もその一つであります。

 すなわち自分が考えている正しさを他の人に要求する場合であります。論理的にはその正しさは客観的に正しいのであるからそれをキチッと他人に要求することは間違いではないのですが、こういうリジッドな正義感が得てして「仲よく」できない原因になっている場合も結構あるのです。

 人間である限り、完全無欠な人は居ないわけで、誰でも良いところもあるし弱い抜けているところも持っているのがリアルな現実の人の有様であります。

 人間関係において、良いところに注目してみると、仲よくできる。しかし弱い抜けているところに強く注目すると非難合戦になり終いには喧嘩になります。

 「仲良く」はお互いに合掌し合うことであると云われており、これが基盤にあれば自ずと良いところが大きく見え、弱い抜けているところがあっても仕方がないなあと許すことができるのです。

 これがお互いに同時にできた時が、お互いに合掌し合うと云うことになり、仲良くが現成してくるのです。

 そして大切なことは相手の問題ではなく、自分の問題であると云うことです。すなわち相手がこちらに合掌するのならこちらも相手に合掌するというような、後出しじゃんけんでは駄目です。相手がどうであれ自分が心から合掌することが肝要です。これができるかどうかは自分に三昧が身に付いているかどうかに掛かっているのであり、仲よくできるかどうかは相手のせいではないのです。真に自分の人間形成の問題であります。(つづく)

 

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