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2019.01.10 Thursday

和気満堂(その2)

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和気満堂(その2)

丸川春潭

 「和気満堂」の(その2)です。

 先の(その1)は、「和気満堂」の難しさは、「正しく・楽しく・仲よく」の最後の「仲よく」の難しさと共通するものがあり、「正しく」「楽しく」がしっかりできていなければ「仲よく」にならないし、また同じように「和気満堂」も実現しない。そして、「仲良く」はお互いに合掌し合うことであり、これが基盤にあれば自ずと他の良いところが大きく見え、他に欠点があっても仕方がないなあと許すことができ、仲良くが現成してくるという観点でした。

 以上は、(その1)の要旨でした。

 ここの(その2)では、和気満堂を阻害する要因として、「自己中心と空気を読めない」を取り上げてみたいと思います。

 自己中心を広義に捉えると(その1)も入ってしまいますが、狭義に見てみてもこれが仲よくの大きな阻害要因になっていると思います。

 自己中の特徴は、他が見えない・他に対する配慮が欠如している点であります。

 禅による初関の透過すなわち見性は自己が大仏(毘盧遮那仏)であることを悟ることであり、一見 自己中心と形は似ているのですが実は全然違います。すなわち自己中の自己はチッポケな自我(エゴ)でしかないのです。見性しても日常において一日一炷香(三昧)が継続されていないと自己の大仏が段々とチッポケなものになってしまいます。これは20年30年修行している旧参の者も十分心しなければならないところです。見性の境涯は最初で死ぬまでのものであり、これを継続できるかどうかが人間形成の修行の最大眼目というものです。

 チッポケな自己中では他に対する配慮が欠如するわけですから、特にリーダーがこの自己中になっているとその組織における仲の良い求心力は消滅してしまいます。リーダーは常に反省に反省を繰り返し、空気を慎重に読まなければいけません。空気を読むと云うことは他を常に意識できているということであり(他を我が面と見れている)、自己中に陥って他が視野から消えてくると、無神経で事務処理的な差配になってしまい、仲良くがその組織で醸成されるはずはありません。

 指導の任にあるものは特に注意しておかねばなりませんが、やはり組織を構成するみんなの他を意識する精神的安定さ(正念相続)がみんなに必要であり、その有無が和気満堂にそのまま反映するのです。(未完)

 

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