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2020.01.21 Tuesday

「衆生本来仏なり」

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「衆生本来仏なり」

丸川春潭

 「衆生本来仏なり」は、白隠禅師の「座禅和讃」の最初の書き出しにあるフレーズ(語)であり、禅庭に少しでも触れたことのある人では誰知らぬ人はいないというほどの有名な句であります。

 衆生すなわち老若男女貴賤を問わず人種を問わずみな同じ衆生であり、出来の良い者も出来の悪い者も、修行の進んだ者も全く修行をしていない者も、一切関係なしに全く同じ仏が一人一人に本来宿っていると云うのです。

 小生はこの句は仏教の究極を表現した絶妙の句であると思っています。そしてまた簡潔にして全てを包含した言葉を超えた言葉であり、極めて禅的な語であると思っています。

 そしてこれはまた、日本人である白隠禅師(AC1689−AC1769)の創作語であると云うことが誇らしくもあるものです。

 釈迦牟尼世尊がBC5世紀に見性し仏教を啓かれてから2200年経て、また達摩大師が中国に渡って禅を興されてから1150年にして、そして大応国師によって13世紀に初めて日本に禅の嗣法がもたらされ、江戸中期にいたってこの究極の語が日本で誕生したのです。それまでに誰も創り得なかった語が出来たのです。すなわち仏教も禅も発展し続けて江戸中期(1700年ころ)に至って、この「衆生本来仏なり」の語にまで登り来たということです。

 人間禅の公案集である『瓦筌集』には、低きから高きに向かって200則の公案が並べられ収録されています。この200則は仏教が啓かれてからのエキスが収納されており、人類の最高の精神文化が凝縮されていると言って過言では無いものです。

 そして初則の「父母未生以前における本来の面目」を透過することによって初めてこの「衆生本来仏なり」に納得することができるものです。そして200則の公案の最後の末期向上数則を透過して後、またこの語の意味するところに納得し直すことができるのです。すなわち、この語は200則の最初から最後までを包含している言葉であり、この語の全貌は200則を全て見尽くさなければ判らない大きく深いものです。

 ただ200則を全て見尽くして判ると云ってもそれは理の上の段階です。すなわち理の上での判り納得するということと、事の上で判り納得すると云うこととはまた別問題であり、それには大きな隔たりがあるのです。

 すなわち事の上でこの語を我が物とし得るかというと、200則の公案を全て透過してもこの語の深さは見切れないのです。

 毎日この語を拳々服膺することによって、この語の味わいは素晴らしく、そして深くなって行きます。

 自利につけ、利他につけ、この語は優しくそして自信を我々に持たせてくれるものです。そして一生掛かってもこの語の味わいは汲み尽くせないものと思われますが、少しでも深く少しでも長く味わいたいものであり、それが無上の楽しみであります。

 

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