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2020.03.22 Sunday

知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その2)

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知的障害福祉施設ヤマユリ園植松被告の裁判結果を見て(その2)

丸川春潭

 昨日(令和2年3月16日)、表題の裁判において植松被告に死刑判決が出されました。この事件は2016年7月に起きた殺人事件ですが、この事件は日常茶飯事に起きている殺人事件とは大きく異なる性格を持っており、この裁判には少なからず関心を持ち続けていました。そしてこの裁判の特異点の一つを前報のブログ(その1)でお話ししました。

 この裁判でもう一つの小生が特異だと思っていることがあり、それについて(その2)としてお話しします。それは、死亡した19人を含む被害者48人中47人の氏名が秘匿されてアルファベットの記号で裁判が審理されたことであります。

 この秘匿しなければならなくなった家族の心情の要因の一つに、重度精神障害者として社会的にレッテルを貼られ取り扱われることを避けたいという当事者の気持ちがあったものと推察します。すなわち社会に対する一般的な恥ずかしいという思いからであります。これが氏名を秘匿することになった全ての要因とは思いませんが、その一つであることは間違いないと思います。そしてこういう心情になるのは当事者の責任ではむしろなく、社会全体の責任であると考えます。社会全体が当事者にそう考えるようにさせていると考えるべきでしょう。これはまさに世の中の多くの人の心の片隅に、植松被告と同じ考え方(役に立たない人間は、社会的お荷物であると云う考え方)があるということです。

 すなわちこの名前を隠したいという心情は、前報(その1)で申したことと軌を一にすることと考えます。どんな重度精神障害者であろうと社会的に役に立たない存在であろうと全ての人間には等しく「本来の面目」を宿していると云う観点がないから、こういう心情が生じてくるのです。もちろん当事者のみならず社会全体にこの視点が薄いと云うことで当事者も同じ色に染まってしまっているということです。

 どんな人間も卑下するものは本来なにもないのであり、全ての人が自己の存在を胸を張って生きて行けなくてはならないのです。そういう社会的風土の醸成こそが必要なのです。この方向は取りも直さず世界楽土建設の道に他ならないのであり、まさにわれわれのやらねばならない使命であります。少しずつでもこの風土づくりを各支部・各禅会の足下から広げて行かねばならないのです。

 植松被告に対して根本的に反論でき、更に機会があれば本人を間違いであったと納得させるだけのポテンシャルと力を社会的に持ちたいものであります。人間禅の布教と教宣の拡大はそのためにやっているのであり、二度と植松被告のような若者を出さないためにやっているのです。根本的反論ができる見性の眼を具する人を一人でも社会に送り出し、人間の尊厳を根本的に認める社会風土を醸成するためであります。以上、ヤマユリ園事件の判決の反響を見て感じたことであります。(終)

 

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