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2020.01.30 Thursday

三要件(1)

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三要件

東 絶海

 古来より禅修行の要は「大信根」「大疑団」「大勇猛心」と言われていますが、これらの三つの件については、それなりの方が説かれると思いますので、小生は、会下の者にいつも注意しているごく身近な三つの要件を申し述べることとします。

一つには「作務」   

 禅寺では、一に作務、二に勤行といわれ、なによりも作務を大事にしているそうだ。小生は人間禅にご縁ができる以前、小さな禅寺に居候していたことがある。そこの和尚さんは、戦前に僧堂生活をし、戦争にも行ったそうだ。その方は、誠に作務をする方であった。まさに一に作務である。どこの禅寺に行っても何かしら清々しい感じがするのは、やはり作務が行き届いているせいであろう。翻って吾々の道場はどうであろうか。小生は、常々〔道場は修行者の顔である。道場の草が伸び放題になっていたり、落ち葉が落ちっぱなしで放置されたりしていることでは、そこで修行している者の修行の質を問われるから、ちゃんと作務をするように。〕と注意している。吾々は、在家禅者であるから、普段の日は道場へ行くことは出来ないかも知れないが、最近は週休二日もある。その一日を道場の作務に当てることもできるのではないか。心掛けの問題である。

 次に作務するときの態度である。ペチャクチャしゃべりながら作務をする者がおるが、もっての外であり、黙って目の前の仕事に集中しなければ、作務とはいえない。吾々は労働者として草引きなどの仕事をしているのではない。禅修行の一環としての作務を行っているのだ。草引きで思い出すことは、「草引きとは、草を根から取るのであって、草をむしるのではない。」これは二世総裁から小生が学生の頃注意された言葉である。以後、小生は肝に銘じておる。また、やはりこれも小生の若い頃のことだが、生意気にも〔その人の作務を見れば、その人の修行の程度が判る。〕というような話をしていたら、たまたまそこを通りかかった、ある老師が「お主、怖ろしいことを言うなぁ。」とたしなめられたのを思い出すが、その気持ちは今でも変わっていない。そして、またこれも小生の若い頃のことだが、鎮西道場の松永堅峰道場長(後の齊月庵老居士)が昼休みに便所掃除をして陰徳を積まれていたことを思い出す。最近、このようなよいお手本となるような方が少なくなってきたのではないかと思う。(つづく)

 

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