社会人のための坐禅(座禅)道場【人間禅】

 

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2020.04.15 Wednesday

コロナ・パンデミックと禅(その3)

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コロナ・パンデミックと禅(その3)

丸川春潭

 4月2日、12日につづき、コロナ・パンデミックについて考察します。

 12日(その2)のブログでは、コロナ・パンデミックが現代の地球人が未だかって経験したことのない「差別をしない社会現象」であるという切り口での評論でした。

 今日は、新型コロナ対策ということによって、人間社会全体で「人と人の接触を最小限にする社会現象」を現出させたという切り口で考えて見たいと思います。これまた現存する人類が経験したことがない事象ではないかと思います。

 人間は社会的動物であり、複数の集まりすなわち群れを形成してこその人間であり人類であります。新型コロナの蔓延を防ぐには人と人の接触を断つことだけが唯一の有効な施策であると為政者及び医系専門家が異口同音に言っています。安倍首相は非常事態宣言を発出し、できたら人の接触を80%削減したいと国民に訴えています。日本は他国と比べて拘束力を持たない甘いというか緩い政策で行こうとしています。欧米では軒並み拘束力を強めた施策を出しており、夜の宴会をした市長の奥さんでさえ禁固365日か数十万円の罰金刑になるかも知れないというニュースも出ています。

 夜の接待・宴会とかカラオケやパチンコなどはなくても生活できるし、コンサートとかライブは少しの間辛抱すれば良いけれど、そして官庁や大会社の本社機能は在宅勤務でのテレワークで7割の通勤出社は不可能では無いでしょうが、中小企業のメーカーの仕事は未だAI化にはほど遠く、機械を動かす職工がいなければ生産はできない。休業補償が喧々諤々論議されているところであります。

 このブログではこういう社会現象から少し離れてマクロ的に見て考えてみたいのです。こういう人の接触を極力少なくしなければならない、断たねばならないということによって、改めて人の接触の本質的な価値が問われてくると考えます。すなわち人と人の接触がなくても可能な事柄を全部洗い出しそぎ落とした後に、どうしても人と人の接触がなければならないものが残る、その残ったものをしっかりと見究めなければならない。

 これからの来たる社会を考えても、ITが発達し、AI(人工知能)が社会にどんどんはめ込まれて行けば、人と人の接触は大きく変容するでしょう。5G時代になって究極のテレワーク機器が行き渡れば、人が集まってしなければならない仕事は激減するでしょう。今、国や東京都が閉鎖を要請している学校や塾も遠隔授業が普及すると日常化してくるであろうし、映画館や劇場とか美術館もネット配信などを駆使しすれば、電車に乗って人の肩越しから見るのではなくゆったりと在宅でその目的が達せられると云うことになります。そうするともちろん箱物としての建物がかなりの割合で不用になってくるのみならず人が移動するためのインフラもスケールダウンが可能になってきます。人が集まらなければできない仕事や活動や娯楽を含めた都市機能の中でどうしても残るものは何なのか考察する必要があります。 

 体の機能に触れなければならない病院業務とか身体に触らなければならないマッサージや美容院や理髪店とかは接触をなくするわけにはいかない。シェフとか料理人のできたての料理はそこに行かねば食べられないでしょうが、昨今オンライン宴会があちこちでやられ始めており、オンラインバーまで出現してきています。

 このようにネットとかテレワークを最大限活用して、遠隔での人と人のコンタクトで事が済むものと、どうしても面と向かってすなわち人の接触がなければならない事をこの社会から洗い出し選別してみなければならない。そうすることによりその先に見えてくるものは、今のような過密な都市というものから大きく変容した社会が見えてくるのではなかろうか? すなわち新型コロナによるパンデミックは、人口の集中化の方向を逆転する切っ掛けを作ることになるのではないだろうか? という考えに到ります。

 さらに考えてみれば、朝晩の東京の満員電車は人間の自然の生活としては異常状態ではないか? 都会の人間はこういう異常な過密状態に慣れてこれが当たり前になっているけれども、人間の自然としてこういう都市での過密状態は不自然ではないかということです。ウイルスは自然であり自然に振る舞うだけなのが、人間があまりにも不自然な状態(過密すぎる生活)だからそこに他(ウイルス)の自然と軋轢が生じているのが、現在のコロナ・パンデミックではないか。人間はそれをウイルスとの戦争だと云いますが、ウイルスの方から見れば不自然(過密都会)は所詮長続きするものではなく何れは破綻するものであり、自然(非過密)に戻れば良いのだと笑っているのでは無いだろうか?

 地球上の人類の文化が中途半端な現段階では、人口集中という非自然・反自然・不自然な状態であるが、それが未だ中途半端な段階であるからであり、自然に戻れば(過密を避けた生活圏の構築ができれば)、自然(ウイルス)との折り合いも平和裏につくのではないか。まさに人類が次の段階に進む方向をウイルスという自然が指し示しているのではなかろうか? 皆さんのご意見をお待ちします。 合掌

 

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