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2019.05.14 Tuesday

長寿と禅(その4)

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長寿と禅(その4)

丸川春潭

 精神的安定が肉体的安定につながりそれが長寿につながるという観点において外から入って来るストレスにどう対応して精神的安定を確保するかについてのお話を前のブログでしました。今日は外からではなく自分自身の内から来るストレスについてお話ししようと思っていたのですが、内から来るストレスという言い方は語法的には間違いであるということが、ストレスの意味を辞書で引いて判りました。

 ストレスを大辞林で引くと、

\鎖静緊張・心労・苦痛・寒冷。感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう。

強弱アクセントで、強めの部分。強勢。

J体に加えられる圧力。

こ暗圧力に対する弾性体内部の反発力。

と有ります。

 本ブログの健康に関係する項目は,砲覆蠅泙垢、これは前回の外からのストレスだけになります。すなわち内からのストレスという言い方はないということです。ただ人間は考える葦であると言われる人間にとって、自らの(内からの)精神的不安定からの健康を損ねるという事例は健康の中で最大の要因といっても過言ではなく、まさに本題の「長寿と禅」の主テーマが人間形成の禅によって精神的安定が根本的に確立することにより肉体的安定すなわち健康が確保されその結果として長寿になるという論旨が中心になるのですが、内からのストレスという言い方・考え方は急遽取り下げて別の表現にしなければならなくなりました。

 大辞林から引用したストレスの意味を見るに付け、ストレスという言葉が悪いイメージになりすぎていることに気がつきます。すなわちストレスは過度になるといろいろ問題を引き起こすことになりますが、適度なストレスは必要だという観点もあります。同じような言葉に摩擦(まさつ)がありますが、摩擦は良くないイメージがありますが摩擦があるから乗り物のブレーキが成り立ち、また帯を結んでほどけないのは摩擦があるからです。事ほど左様に「こ暗圧力に対する弾性体内部の反発力」を精神的なストレスとして考えると、「試練を克服する精神力」となり、これを繰り返し経験することにより人間が鍛錬され人間力が付いてくるという図式になります。これは社会的にもいえますが、臨済禅の修行における公案が外部圧力であり、それに挑戦し反発して克服してゆくことによってより高い人格に到達することであるともいえます。

 ただ弾性体が持っている強度以上の外的圧力が加わると弾性限界を超えて二度と反発力が出てこない状態になるものであり、社会的な試練がその人の持っているその時の限界弾性力を超えたらその人は精神的に参ってしまうということになり、これが現代社会での実相(うつ病とか自殺)になっているのです。禅の修行の場合は、自分の境涯より高いレベルの公案を師家から与えられて四苦八苦するわけですが、師家はその人が潰れないようにストレスを架けつつ自力で反発力をもって乗り越えるようにサポートする。師家が手を出して引っ張り上げてその公案を透過させてしまうとその人は自力を付けないまま公案だけが進むということになるし、全くサポートせずに厳しすぎると修行が中断してしまうということになり大変難しいところです。

 話が横道に行きましたが、肉体にしても精神(こころ)にしても適度なストレスが必要だということは80歳近くまで生きてきた人生経験として言えます。問題はこの適度がいい加減であり問題なわけです。最近企業研修プロジェクトを進める中でお聞きしたことですが、企業の経営者にとって問題になっていることにせっかく採用した新入社員が些細なことですぐやめてしまうそうです。これはこの「適当なストレス」の高さが今の若者はかなり低いということでしょう。そこがこの本題「長寿と禅」に関連してくることで、人間形成の禅を長年継続することにより適度がどんどん高くなってゆき、最終的にどんな精神的ストレスが来ても適度の範囲を超えないということになるということです。やはり最大のストレスは、古今を問わず洋の東西を問わず「死の恐怖」が最大のストレスでしょう。健康な人が突然「あなたは癌にかかっており全身に転移しており、余命3ヶ月です!」と医師から宣告せられたときのストレスはほとんどの人の場合にはこの「適度」を超えるのです。だからその精神的動揺によって肉体的安定が損なわれ免疫力が下がり余計病が進行すると末期癌の権威者である岐阜の船戸崇史先生もいわれておられ、「医師に殺される癌患者」という物騒な趣旨で書かれた書籍もいろいろ出版されています。しかしこういう一般的傾向に全く外れるのが人間形成の成果といえば言えるのです。すなわち医師の宣告はそれなりにしっかり受け止めまさに終活の手はきちっと打つが、その死の宣告でさえ適度のストレスの範囲を超えずしたがって自己の「弾性体内部の反発力」を損なうものではないのです。死の恐怖に対してですから、日常茶飯事の腹立たしい人間関係とか自分に対する誹謗中傷があっても是は是、非は非で対応しつつも決して精神的安定を損なうことなくサラッとケロッと対応してしまえるというものであり、肉体的安定にまで影響することは全くない。長寿はこういう結果の積み重ねの後に自然と付いてくるというものです。

 今日のブログは、前回のブログを受けて内からなるストレスへの対処について書くつもりが、大辞林を引いてから脱線ばかりで想定範囲を超えて少し精神的動揺をしていますw。

 

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