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2019.05.29 Wednesday

見えない修行(その1)

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見えない修行(その1)

丸川春潭

 臨済宗系の「人間形成の禅」を中心に持つわれわれ人間禅は、数息観座禅を基盤に臨済宗の特徴である公案修行を一生かけてやります。この公案修行は見える修行です。これに対して数息観座禅は見えない修行と言えます。

 公案修行は正脈の師家に入門して臨済宗系の伝統的な公案を授けられ、独参(師家と一対一で問答する参禅)を重ねて公案の透過を目指す修行ですが、初関(200則の公案の中で4則が修行を始めたときに与えられる公案)を透過すれば道号が授与されます。そして修行が進み88則(即今汝性)を透過し、更に道心堅固に修行を継続する者は火大級に進級させ黒色絡子を授与します。次に142則(五蘊皆空)を透過した者に見性悟道の境涯として風大級への進級を証し、その後も空大級(茶色絡子授与)、識大級(庵号授与)、師家分上へと進級が明確にされています。

 まさに修行の進行が自他に見えるようになっており、修行の道標が明確になり修行の励みになっています。

 長所は短所と裏表であり、見える修行に重心がかかり易く、見えない修行が疎かになりがちなものです。この見えない修行は人間形成の禅の修行にとって常に大切な行なのですが、就中大切な時期を二つあげれば、その一つが見性した直後から道号を授与されてからのしばらくの間です。そしてもう一つが識大級、師家分上になって公案修行があらかた済んだ者の修行においてで、この見えない修行が大切になります。

 まず前者の見性入理直後について言いますと、見性時は間違いなく頭頂葉がサイレントになり前頭葉が活性になっていたから見性できたのです。すなわち座禅して念慮を止め言葉を捨てて三昧に入ったから見性できたのですが、未だ三昧が身につくほど三昧行を長年継続していないから、日時の経過とともに前頭葉で感性として保持していた見性の境涯はみるみる希薄になり、代わって見性の時の見解だけが頭頂葉の記憶として残るだけとなってしまう。こうなると次の何ヶ月か先の摂心会では、またゼロから見性の境涯にまで上げてゆかねば次の公案が全く見えないということになります。これは未だ良い方で、見性し道号を授与されたが、見性の感激が冷めて終い修行に対するモチベーションが低下して修行が中断してしまうことも往々にしてあるのです。これらは全て、見性後の見えない修行がきちっとなされなかったためであり、公案修行が知性主導になったためです。兎に角見性した直後ほど先輩がよくフォロ−して、見えない修行を一緒になってしっかり行ずることが大切です。東京支部ではそのために初関会が設けられており、見性して1年間は兎に角しっかり座ることを定着させるために、本来見えない修行を少し見える化してアフターケアーとしています。(つづく)

 

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