古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」(21)
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――古くて新しい「座禅」、易しそうで深い「座禅」―(21)―
丸川春潭
明けましておめでとうございます。
お正月のお茶のお菓子は、全国のどの流派のお茶席に云っても、花びら餅のようです。
今年は、3日に市川の本部道場で有楽流の茶席で、また5日に熊本道場で肥後古流のお茶席で、6日に名古屋では表千家のお茶席で花びら餅を頂きました。
いずれも花びら餅でしたが微妙に土地柄の特徴があります。
6日の名古屋の茶席での花びら餅は岐阜のお菓子屋さんと云うことでしたが、今まで食べたことのない新鮮さが少しありました。
それは真ん中に通している牛蒡に塩気が少しあり、また少し歯ごたえがあるもので、これはこれでなかなかのものだと感心しました。
そして贅沢を言えば、お濃茶が花びら餅にはぴったりであります。よく練られたお濃茶を名古屋禅会で頂き幸甚でありました。
今日は、座禅における数息観法の長所と短所についてお話ししましょう。
座禅において数息観法を取り入れているのは、人間禅の法系である臨済宗系であります。
これに対して、曹洞宗系では、大体において、数息観法に依らず、只管打坐一本で、ただひたすら無念無想の座禅のようであります。すなわち数息も行わず、ひたすら雑念を切って行く座禅であります。
座禅にはこの二つがあるのですが、それらの長所と短所をちゃんと認識した上で、座禅をすると良いと思います。
数息観法の良さは、座禅の初心者に向いている点であります。
考える葦である人間が、いきなり無念無想になるということは、極めて難しいことです。
何故かですが、脳科学で云いますと、頭頂葉は常に何かを考えている状態が定常状態であります。したがって目が覚めた覚醒状態でこれを意識的に止めると云うことは、非定常・非日常ということになります。
以前に、アメリカの脳科学の専門家がチベットの瞑想僧の脳を詳細に実験して、瞑想・三昧に入ったときは、頭頂葉がSilentになり、変わって感性を司る前頭葉が活性(Active)になるということをこのブログでご紹介しました。
そして前頭葉を活性(Active)にすることが、感性を磨き、人間力を増加し、創造力を付け、人間形成を深めるのだと申しました。
したがって座禅の目的は、頭頂葉をSilentにし、前頭葉をActiveにすることであります。
数息観法が初心者向きだという根拠を脳科学的に云いますと、頭頂葉を数息という仕事に専念させる方法だからです。
頭頂葉をいきなりSilentにすると云うことは、頭頂葉の定常性・日常性から考えると大きなギャップであります。
なかなか容易ではないのですが、取りあえず何も考えるな!ではなしに、数息だけはやりなさいと許すのです。
当然こちらの方が、ギャップが少ないだけ入りやすいというものです。
しかも数息観初期は、1から100までを少々何か考えていても、息を数えることを忘れず、数息を間違えない程度の緩い縛りで始めることを奨めています。
中期に進むと1から10までをチラッとした念慮も差し挟ませない一念不生に厳しくした数息になるのですが、これでも未だ頭頂葉は、息を数えるという働きをしていますから、完全なSilentにはなっていません。
数息観の後期というのが、曹洞宗系の只管打坐で、全く数息もせず完璧に頭頂葉をSilentにする段階であります。
この後期はもう数息をしないのですから、数息観法とは言えないのであり、ここは深い座禅三昧のところです。
これでお解りのように、まさに数息観座禅の長所であり且つ短所は、頭頂葉を少しは動かしているというところです。
しかし中期を卒業して後期すなわち息を数えない只管打坐まで行くには、毎日座禅を一日一炷香としてやって、居士禅者の場合は、普通の人では10年はかかると思います。
小生は50年以上数息観座禅を一日一炷香でやっていますが、毎日の座禅(45分)の三分の二から四分の三は数息観法で、最後の三分の一から四分の一が只管打坐になっています。
これをご参考に一日一炷香を毎日少しずつ深めていって頂ければ幸いです。前にも申しましたが、継続は力なりです。年初に当たり、一日一炷香の誓願を立てられたら如何でしょうか?ご精進を心よりお祈りします。
合掌 春潭 拝
人間禅の使命
JUGEMテーマ:禅
人間禅の使命
丸川春潭
新年明けましておめでとうございます。皆様とともに、今年も正しく楽しく仲良くありたいと思います。
年頭に当たり、人間禅の使命に改めて思いを巡らし、決意を新たにしていると思います。昨年9月、2020年の東京オリンピック開催が決定しました。「おもてなし」という絶妙のプレゼンテーションがオリンピック委員をとらえたと聞いていますが、その「おもてなし」を単に礼儀正しいとか、丁寧とかのレベルではなく、更に深め、久松真一先生の云われる「無相を自覚した東洋の心」で各国の人々を迎えることこそが、日本が世界に示すべき「おもてなし」です。6年後を見据えて「おもてなしの心」を日本中で深めて行き、それを世界に発信して行きたいと考えます。
それでは先ず人間禅が最近力を注いできた人間禅ならではの活動の軌跡を、東京・日暮里の擇木道場におけるフォーラム「禅フロンティア」の総括から掘り起こします。
3年半前から始めた禅フロンティアは昨年末に36回目を数えるまでに積み重ねて来ました。取り上げたテーマは伝統的な日本文化にとどまらず、日本で現在息づき進行している社会現象にも踏み込み「〇〇と禅」と銘打って開催してきました。テーマごとの内容は次の通りで、現代をあらゆる角度から禅・座禅で斬り見て行こうとしています。
「日本文化と禅」では、茶道、陶芸、書道、俳句・短歌、剣道、音楽、和歌
「宗教各派と禅」では、現代キリスト教、イスラム教、神道、浄土宗
「心身の健康・医療と禅」では、東西医療、漢方、最新の脳科学、新型うつ
「社会心理と禅」では、メンタルヘルス、カウンセリング、イキテク、
「社会活動と禅」では、企業人、母親、就活、リーダーシップ、対人力
「社会問題と禅」では、こころの教育、ジャーナリズム、自殺者3万人
全て「○○と禅」と題して禅フォーラムを企画し、そのテーマに相応しい識者を招聘して互いに勉強し合い双方向の論議をし発信してきました。
今後もあらゆるジャンルのテーマをとらえ、禅との共通性・関連性、禅とのコラボレーションの可能性を追求していきます。
この禅フロンティアの試みは、一つには、伝統と歴史のある「禅の現代化」を目指すものです。また二つ目としては、「閉塞しがちな現代社会に禅の力でもって風穴を開け、現代日本のあらゆるジャンルを活性に進展させる」狙いも持っております。さらに三つ目として、グローバル時代に国内だけの視野ではなく「地球社会の視点での禅・東洋的無の普及」を模索しています。
最初の「伝統と歴史のある禅・座禅の現代化を目指す」ことは、達磨大師から数えて五十七代、日本に最初に禅を持ち帰った大応国師から三十代の滴々正伝の禅を伝法のための伝法だけに埋没させずに、現在と未来の人づくり、世直しのための禅に甦らせなければならないと考えてのことです。
また二つ目の、「閉塞しがちな現代社会に禅・座禅の力でもって風穴を開け、現代日本のあらゆるジャンルを活性に進展させる狙い」とは、あらゆる文化ジャンルが禅とコラボレーションすることによって、その道その道を深めまた新しい発展の起爆剤にすることを目ざすものです。
この一項と二項は、表裏一体ともいえ、お互いに重なるところもあります。禅フロンティアの「〇〇と禅」のタイトルは、禅の現代化であります。本当の禅は教条も拘りも特定の色も付かないものであり、それだけに時代時代の最大の課題解決に常に真っさらな状態で向かって行き、その中に入り込んで力を発揮するものです。
擇木禅フロンティアの狙いの三番目として挙げました「地球社会の視点での禅・東洋的無の普及」について若干説明します。グローバル時代の我々の使命について、人間禅名誉会員の倉沢行洋先生の最近の著書『久松真一「芸術と茶の哲学」』は有益な示唆を含んでいます。要約すると「茶道の根源と目的は禅であること。茶道の目的は人間形成であり、そのためには無相の自己を見性し、自覚することが必要である。……茶道文化の中核にある無相の自覚は、東洋独特のものである。……この茶道文化・無相の自覚は西洋文化に欠けているものに大きな示唆を与えるものではないかと思われる。……」
また、グローバル時代の使命についての事例をあげますと、禅フロンティアに参加して初めて禅に縁ができ、参禅して見性し、人間禅に入会して道号を授与された留学生のイスラエル人(道号:碧巖)がいます。彼は今年の初め、イスラエルに帰って大学の教授になり、東洋思想を教えております。そして座禅会を作ろうと奮闘しています。
この他にも、未だ十分とはいえませんが、「現代キリストと禅」「イスラム教と禅」「中国と禅」と題した禅フロンティアの開催もしてきました。
以上、擇木禅フロンティアのこの三年間の総括を三項目に分けてご説明しました。
人間禅が居士禅会であるからこういうフォーラムを開催できると自負しています。しかしこれは人間禅の活動の一つの事例でしかありません。この他に全国各地域、大学、企業内サークルでの数息観静坐会、各支部各道場を開放しての茶道、俳句、書道、囲碁の会があり、道場併設の剣道場では、剣道以外にも女性空手の会、太極拳の会があり、また地域・市中に出かけての椅子座禅と写経の会、大学開放講座の担当等々、その支部・禅会の特長を生かしての地域に根ざした活動が展開されています。
たとえば企業においての人材開発は、国際競争力を付けるための最大課題ですが、禅を人間力、創造力豊かな人材をつくるためのツールとして位置づけ、禅による人間教育システムを取り入れた人づくりを、新入社員教育のみならず企業内教育と連携させた生涯教育として進めることを提案します。
また学校教育において、こころの教育を軌道に乗せることは次世代の社会を考えるとき待ったなしです。宗派性の無い人間形成の禅・座禅を中核にした「こころの教育」を早急に採用すべきであります。
現代ほど精神的ストレスの多い時代はありません。人と人の絆の脆くなっている時代でもあります。こういう社会状況の中で、一時的な気分転換でしかない低俗TV番組の氾濫や皮相的な癒やし系的風潮が跋扈する現象は異常と言わざるを得ません。こころの底から感動するとか、自分の殻を破って飛び出す勇気を持つきっかけ、それができる「場」がなくなってきているのです。鬱病や自死に到る人が絶えない社会を根本的に見直し、そこにメスを入れる具体的方途が提案されなければなりません。
グローバル化に対する取り組みは、従来からあまり進んではいませんが、人間禅に入会して道号を授与された外国人はこの3年間で6名あり、次第に外国人の参禅者・入会者が増加し、人間禅のグローバル化は徐々に進んでいます。5年前に海外布教担当師家をもうけ、欧米の視察を行い、一昨年には北京で修禅会行い、昨秋には中国河北省テレビ局の禅文化訪日考察団が日本と中国の禅文化の交流を深めるということで本部道場に来られ、その結果が今年の春に中国で放映されます。未だこれからでありますが少しずつではありますが東洋的無を徐々に世界へ発信してきています。
我々の人間禅の主体は、出家することなく実社会で働く社会人です。その中には、学生、主婦、定年を迎えた退職者、そして僧職者も数人います。人間禅の会員は社会のあらゆる場所・場面で、修行で得た道眼・道力を発揮して世のため人のために活躍しております。そして、「正しく・楽しく・仲の良い」社会づくりを目指して、静坐会や諸芸道とコラボレーションした活動を行っています。
私は、こうした活動を人間禅の「横糸」だと考えています。
これに対して、人間禅の縦糸は、臨済宗の修行専門道場と同じ独参形式の参禅を中心にした摂心会・参禅会の厳修です。人間禅の師家の任にある者(現在の13名全員が居士)が、北は札幌から、南は鹿児島までの16支部、8禅会、4静坐会を分担して担当し「座禅の修行によって、転迷開悟の実を挙げ、仏祖の慧命を進展せしめる」担雪塡井をしております。また布教師・輔教師として布教の任についている者が約200人おり、全国各地で地域に根ざした布教活動をしております。
居士として、この社会の中に生活しながら縦糸である正脈の伝法を自ら永遠に継承しつつ、その生粋の禅・座禅の力でもって、横糸を大胆に展開して行く。すなわち「禅の現代化の促進」と「閉塞しがちな現代社会の活性化」に寄与すし、グローバル時代に対応した「地球社会の視点での禅・東洋的無の普及」を図ることであります。
6年後の東京オリンピック開催は、世界の全ての地域の文化と東洋的無の文化との交流を図る絶好のチャンスです。これから世界の多くの方々が、東洋文化・日本文化に注目すると思いますが、これにしっかり応えてゆくことが、地球の平和と次の世代の地球文化に寄与することになります。また外国の方々の東洋的無に対する関心が、回り回って日本人の「自己発見」への回帰にもなると思います。
縦糸をしっかり持続発展させつつ、横糸をあらゆるジャンルにおいて、日本のあらゆる地域において、また世界の国々へ向けて発信して行くことが人間禅にしか出来ない使命と考えております。
今年も諸兄姉がご健康でご発展されますことと、諸兄姉のご指導ご鞭撻をお願いして、新年のご挨拶と致します。合掌
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