老師ブログ

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2015.09.19 Saturday

「座禅の効用」その13「禅の功徳は無限大」

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「座禅の効用」その13

丸川春潭

 「人間形成の禅」〜その効用と効果〜、と題してのブログを綴ってきましたが、最初に申し上げましたように、「禅は無功徳!」が第一義であります。しかしそれだけでは未だ禅に縁が無かった人、あるいは人間形成に志そうとしている人に対して不親切ではなかろうかと考え、第二義に下りて禅の効用について説きました。

 禅の第一義から云えば、要らざることをして眉毛が抜け落ちたのではないかとの危惧と同時に、逆に禅の効用効果は宏大で深く、とても説き尽くせるものではないということも、あらためて思い知った次第であります。

 

 法理的に云いますと、色即是空の空の切り口で見ますと、禅は無功徳と言い切ります。そして白隠禅師が仰るように「衆生本来仏なり」であり、功徳などと云うものは何も必要が無いというものです。これは真理です。

 

 しかし、色の切り口で見ますと、衆生(一般の大衆)はいろいろ悩み苦しみ、水の中にいて渇を叫んでいる状態が世間に満ちているのです。

 すなわち功徳を渇望しているのです。こういう事事無碍法界の社会の巷間においては、人間形成の禅の功徳は無限大に発揮できるということになります。

 

 ここに取り上げた禅の功徳は、ほんの一部の事例でしかありません。応病施薬という言葉通り、新しく発現してくる病も含めて、効能を発揮します。

 病と云うことではなく、もっとポジティブな良い物を更に深くより発展させることにも効果を発揮します。

 

 禅は学問ではありません。知ると云うことでは人間形成にはなりません。最初から最後まで行を伴う実践で三昧を身に付けるものです。

 したがって禅の無限大の効用効果(功徳)を聞き知っても、本人が自ら人間形成の禅を実践しなければ、何の効果も出てきません。

 

 自ら人間形成の禅を継続実践し、三昧が身に付き、人間形成の境涯が進んで初めて、禅の功徳が絶大なものであると云うことが本当に判り、実生活の中で禅の効用効果を遺憾なく発現できるものです。

 まさに「もし同床に伏せずんば、如何でか被底の穿たるることを知らん」であります。

 

 絵に描いた餅を眺めるだけでなく、また効能書きを読んで認識するだけでなく、如実に人間形成の禅を毎日実践して、ご自分で禅の効用効果を無限大に発現して頂くことを祈念して、拙話を終わりにします。

合掌

 

2015.09.19 Saturday

「座禅の効用」その12「人の香りが醸し出される効果」

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「座禅の効用」その12

 丸川春潭

【人の香りが醸し出される効果】

 この項目は、効果効用の表現にはなじまないことですが、三昧が身に付くということと密接に関連していることですので簡単に触れておきたいと思います。

 

 三昧が身に付いてくると、「我」を空ずることができるようになります。すなわちチッポケな吾我の念が出てきたとしても、その吾我の念がでてきたと云うことに直ぐ気がつき、それを即座に摘み取ることができる。すなわち吾我の念を空ずることができるのです。

 したがってチッポケな我欲に、知らず知らず引きずられ、人を傷つけ、自分を傷つけることを未然に自制することができるのです。

 もちろんこうなるには余程三昧が身に付き、しかも一日一炷香で、それを日々に新たにし、生き生きした三昧が身に付いていないとこうは参りません。

 

 人の香りは百人百様ではありますが、人としての香りがある人に共通して言えることは、チッポケな吾我の念が常に空じられている人と云うことが言えます。

 

 幾ら人間力があり、幾ら深い学識があり、目端が利いて頭が良いと云っても、チッポケな吾我が空じられていない人には、その人に香りというものはなく徳は付かないのです。

 すなわち人の香りとか徳というものは、我が空じられた状態になって初めてその人の香りが出てくるし、徳が香るというものです。

 

 人の香りにしても、徳にしても、本人はほとんど自覚しないものです。こういうものは、本人ではなく他人が気付くものです。

 

 「徳は孤ならず 必ず隣有り」(論語里仁編)という言葉がありますが、この徳は言葉で表現できるものではありません。

 徳はその人の香りとして発せられるものであります。この人の香りというものは、百人百様の個性から発せられる自然の存在感が雰囲気として香るものですが、共通して云えることは、三昧が深く身に付いた人格から出てくる雰囲気であります。

 顧みて恥ずかしい限りでありますが、また励みにもなる言葉であります。

 

2015.09.19 Saturday

「座禅の効用」その11「座禅をすることによって仲良くなれる効果」

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「座禅の効用」その11

丸川春潭

【座禅をすることによって仲良くなれる】

 

 多くの友人を持ち多くの後輩から慕われる人と、頭が良く仕事は出来るが、敬して遠ざけられて孤独な人とが居る。

 

 他人の悪口をよく言う人は、他人から悪口をよく言われるものであり、自分が嫌いだなあと思っている人からはどんなに演技しても必ず嫌われるものである。

 逆にも言えて、他人を尊敬する人は、他人から尊敬されるものである。

 

 友人の多い人は、大体において他人の良さをよく見て知っている人であり、その人を尊敬しているから、その気持ちが相手からも跳ね返ってくるのである。

 友人の少ない人は、他人の欠点ばかりを見て、それを自分と比較し軽蔑している。その気持ちが相手にも伝わるものである。

 

 友人の少ない人は、大体において自己中心の我が儘な人である。

 友人の多い人は、大体において自分のこともさることながら、他人の利を考える人である。

 

 三昧状態にあるときは、他を我が面と見、自他の境界の畦が無いのである。従って当然、自己中心の我がままは三昧状態にはないのである。三昧になればどんな人でも自己中心のエゴは消えている。

 座禅を継続していると、少しずつ三昧力が付いてくる。三昧力が身に付いて来ると、自己中心の我がままは少しずつ少なく弱くなるものである。

 

 座禅を継続してやり、三昧力が身に付いてくると、苦手な人とか嫌いな人がだんだんと少なくなってくる。

 そして誰にでも気さくに話しかけることが出来るようになる。また、誰にでも丁寧に対することが出来るようになる。

 そして、誰とでも仲良くなれて、友達が自然に増えてくるのである。

 

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