老師ブログ

人間禅の老師による禅の境涯からの便りです。
人間禅のホームページにもお立ち寄りください。

人間禅のホームページはこちら 老師ブログ一覧はこちら

 

2019.07.22 Monday

(続)人は何を遺すか

JUGEMテーマ:

 

(続)人は何を遺すか

丸川春潭

 恩人のご逝去に際し、「人は何を遺すか?」を自分に当てはめて考えはじめ、人間形成の禅をもってひとづくりをして「人を遺す」ということになったのが前のブログです。

 この「人を遺す」ということに似たものは、職人が弟子を鍛え育てて後継者を残すのにも見られます。陶工の楽家の伝統もその一つでしょう。明珍の火箸を先年かっての同僚と姫路まで見学に行きました。ほとんど家内工業ですが技術の伝承が脈々と平安時代から900年間にわたって繋がっているのを目の当たりに見ました。ここではその伝統の火造技術を身に付けた人を遺し続けているのです。

 昨日、擇木禅フロンティアで新しい禅の講演を聴きました。講師は数奇な人生経験者であり話は面白いし凄い人であり、やられていることも立派なことをやられていると感銘を受けました。未だ70歳だし多くの現代人を救済しまた熱烈なフアンを持ち財もなされるであろうと思いました。

 しかし昨日拝聴した限りでは、自分と同じような後継者を遺すことはお考えにないように思いました。悩み迷っている多くの人を救済するという実績は遺されるでしょうが、向上心のある人物をそれぞれの個性に応じて年月かけて育成する人物づくりの視点はお持ちでないようです。あまりにも非凡な講師と同じような後継者は出て来にくいと云うこともあるでしょうが、あくまで自分一人の個人プレーで終わりになるでしょう。一人が一代でやられることとしては大きいでしょうが、次には繋がらないということです。

 人を遺すということは、遺した人がまた次の人を残すということによって永遠につづくその端緒を残したということであり、一代でなすことへの視点だけではなく、未来への視点を持ちつつ「今」をやっているところが、彼我の違いです。

 しかも我々の人間形成の禅の歴史を振り返るとこの道の端緒は2500年前のインドのお釈迦様が遺したものからであり、6世紀1500年前の菩提達摩が中国へ渡って来て中国にそれを伝え遺し、さらに13世紀大応国師が中国からその法を継承して日本に保ち帰って来て今日にまで到ったものです。したがってこう見てくると、先ほど端緒と書きましたが、現在はその歴史の先端部分と捉えるべきでしょう。

 ただこの人づくりのための伝承は、臨済禅の歴史の最初からあったわけではない。従来からの僧堂の禅は一個半個の「伝法のための伝法」が第一であり、その時その時代での広がりよりは将来への視点が強く、またその伝承は個でなされたものでした。しかし明治以降に誕生した在家禅は「布教のための禅」となり、そして更に71年前の人間禅の誕生により「布教のための伝法」が確立した。そこからは個ではなく集団(僧伽)で布教し、集団(僧伽)で法(嗣法者)を遺すことになったのです。

 昨日の講演者は一人で布教をやられていましたが、人間禅の場合は師家も布教師も輔教師も総勢200数十名が一斉に全国各地で今の布教をしています。また戦前までの禅界においての伝法は個から個でしたが、人間禅になってからは集団で個(嗣法者)を遺すという体制になりました。特に伝法を組織的に行うと云うことにより法の断絶という危険は減じ、未来への布教が盤石になったのです。すなわち禅による人間形成を社会に広げ、正しく楽しく仲の良い社会をつくる志とシステムを未来へ確実に遺すことが可能になったのです。

 人は何を遺すか?において、人を遺すと云うことの素晴らしさに気づき、またそこに個の名前ではなくみんなと一緒にその一端を担えることの痛快さをつくづく噛みしめることができた次第です。(おわり)

 

2019.07.18 Thursday

人は何を遺すか

JUGEMテーマ:

 

人は何を遺すか

丸川春潭

 住友金属時代の大先輩であり恩人である栗田満信氏が4月にご逝去された。享年94歳でした。氏は多くの部下に慕われ、氏を中心に年に2回の懇親会を永年にわたり東京と関西で一回ずつ開催されてきました。これほど多くの部下をこのお年まで慕い続けさせ、死して尚その薫陶を及ぼし続ける人徳は、小生寡聞にして他に知りません。私も薫陶を受けた多くの部下の一人でしかないのですが、自分も多くの知友と一緒に自分が死ぬまでその薫陶を抱き続けるでしょう。

 この大先輩の遺されたものをつらつら考えて、人は死んで何を遺すのかを考えました。

 ニュートンは万有引力を遺し、アインシュタインは相対性原理を遺し、ピカソは前衛絵画を遺し、トルストイや夏目漱石は文学を遺し、利休は佗茶を遺し・・・と見てくると、その人のなしたものが後世に大きな影響を及ぼしたからそれを遺した人の名前が残ったと考えられます。

 更に考えを進めて、名前はどうでもいいとして、人は生を受けてこの世に生きて後に何を遺せるのか?の考えに到ります。子供を産んで育てて孫が生まれてと云う子孫を残すという遺し方もあります。先の栗田先輩は多くの後輩に薫陶を遺されました。芸術家はその作品を遺す。その遺した物の大きさとか価値は時代背景もジャンルも違いますので容易に比較したり尺度したりすることはできません。しかしその影響がいつまで残るかはある程度尺度できます。

 芸術家の作品はそれが時代を超えて感銘を残すものであれば人類が生存するかぎり残ると云えます。先生からとか親から受けた教えや愛情や薫陶のような対人関係で遺されたものは、それを与えた人と受けた人の関係性でできたものですので遺されたものを受けた人が死ねばそれはほとんど消えます。しかしそれが受けた人の人格形成にまで大きく関わるものであれば、受けた人の働きや遺した物に与えた人の影響は必ず及ぶと考えられます。

 しからば振り返って、「人間形成の禅」でもっての人づくりの場合はどうかを考えてみたい。人づくりは人物づくりであり人間力が付きます。これによりその人の持って生まれた資質と個性が最大限に発揮されることになります。そのジャンルは政治・経済・科学・芸術全てのジャンルに多面的に及びそれぞれの職業や居場所で光を放つことになります。更に人を育てて残すと云うことは多面的な影響と云うより次々に人づくりが伝承するということになり、未来への繋がりと発展の可能性が広がります。すなわち人づくりによって人物を遺すと云うことは、芸術家の遺す作品とか科学者の発明と同じように人類がつづく限り残るものです。

 人間形成の禅を進める人間禅はまさに人づくりをするために創られた集まり(僧伽)であり、人を育て人物を遺して来た伝統を受け継ぐものであります。この人づくりの伝承は少人数の師家だけでできるものではなく同じ志を持って集う僧伽全体でなされるものです。私はその多くの道友の中の一人としてそれに関与していることに思いをいたすとき、はじめて大きな生きがいを感ずるのであります。すなわち一人ではできない人づくりの伝承の一端を担ぎ、みんなで人づくりの輪を広げ、また未来へ向かってこの伝統を遺すのです。(つづく)

 

2019.07.11 Thursday

チェンジ ユー(その3)

JUGEMテーマ:

 

チェンジ ユー(その3)

丸川春潭

 自分を変えたいがだんだんと深まって本当の自分探しまで行き着き、本当の自分を掴むことで根本的に自分を変えるという観点を前のブログで書きましたが、「禅は君を変える!」というキャッチコピーからもう一度、何を変えるのかと考えたときのそのanswerの一つを追加しておきたいと思います。

 小生のいつもの相対樹と絶対樹の図を先ず掲げてそれで説明します。

 

 一般的に変わりたいという場合はその99%がこの図の左側の相対樹での思考になっているのですが、禅を修する(座禅において数息観三昧になる、あるいは公案修行において公案三昧になる)ことで、感性の場にはじめて入り込むことができます。すなわち禅をやることによって、相対思考(知性)に加えて絶対思考(感性)も併せて持つことができるようになる。これは大きなチェンジです。

 チェンジするユーが多く集まって社会現象になれば、世の中がチェンジすると確信します。みんなで把手供行して、相対樹から絶対樹に渡り、正しく楽しく仲の良い社会にチェンジしましょう!!合掌

 

2019.07.10 Wednesday

チェンジ ユー(その2)

JUGEMテーマ:

 

チェンジ ユー(その2)

丸川春潭

 自分の顔や容姿のような外見的な皮相のことではなく、自分に自信が持てない自分をなんとかしたいとか対人関係における拙劣さを変えたい、落ち着かない性癖を何とかしたい等の自己の内面的な観点から自分を変えたいと本気で思うことは、人間形成の第一歩になる大切なことです。この思いの背景をよくよく考えてみると将来何かになりたいという思いが出てくるその前に自分を反省した結果であることに注目します。深く反省しているからこそ、これではだめだと奮起し向上心をかき立てるのです。

 小生が20歳前後の学生の頃、耕雲庵英山老師の侍者をしていたときに、老師がわしは夜中に2回 目が醒めるのだが、その都度 前日の自分を反省しているんだと諭されました。すなわち反省が成長の前提にあり反省なくして成長はないという教えだったのです。その時老大師は70数歳でした。こういうことは年齢には関係ありません。若くても反省心がなければ成長しないし、年取っても反省して奮起すれば、何歳になっても自分を変えられると云うことです。

 次は、深く自己を反省した上で、今のままではだめだから自分を変えたいと奮起した人がそれを実践的にどう取り組むかということが問題になります。そしてこれにはいろいろな方法手段があり、沢山のハウツウ書籍が出版されています。ここまで追求して来る人も少なくなっていますが、ここから更に正しい解決策に巡り会える確率は極めて低いのが古今を通じた現在の日本の実態です。

 変わりたい自分をもう一度振り返り見つめ直して、変えられる部分と変えようがない自分に先ず分けて考える。そして変えようがない自分を更に詳細に見える部分と見えない部分に分けて追求してゆく。この見えない部分の追求が深まれば自然と「自分は何なのか」という本質的根源的課題に突き当たることになります。これはもうscienceでも知性でも解決できず、spiritすなわち感性の場でそれを探求するしかありません。この本源的な追求になるとひょっとしたら自家の珍宝を発見することができるかもしれません。こうなると自分がチェンジしたいと思っていたどんなことでもチェンジできているでしょう!!なぜなら本当の自分が掴めているのですから。こうなるとその人は全き自由を手にすることができ、はじめて個性が真に発揮できる状態になります。(つづく)

 

(補遺1)見えない部分の追求の方法が座禅での黙想(数息観法で良い)です。この詳細は、先のブログ「道力(胆力)を付けるには」シリーズ(その1)〜(その4)をご参照下さい。

(補遺)見えない部分の正しい追求の具体的仕方については、同じくブログ「道眼(胆識)を付けるには」シリーズ(その1)〜(その5)をご参照下さい。

 

2019.07.06 Saturday

チェンジ ユー(その1)

JUGEMテーマ:

 

チェンジ ユー(その1)

丸川春潭

 6月23日に東京支部摂心会における講演会があり、慧日庵笠倉玉渓老禅子が「チェンジ ユー」のタイトルで講演されました。新到者に判りやすく禅の深いところまでを説きそして感銘を与える良い講演でありました。その後小生はこのタイトルで考えるところがあり、全然別の角度からの話をしたいと思いブログを書き始めました。

 自分を変えたい!このままの自分では満足できない。その内実はいろいろなニュアンスの違いがありますが、こういう気持ちを持つ若者が多いと言うことを聞きました。自分を変えたいなどと云う気持ちを持つと云うことは人間しか持ち得ない極めて人間らしい気持ちであると思います。

 仕事でも事業でもそうですが、現状肯定の場合は新しい展開も飛躍も望めません。今朝のネットのニュースに、トヨタの社長がこの10年間で最高の収益を上げながら、100年に一回の大改革を大々的に打ち出していました。こういう会社は必ず伸び続けると思います。現状を否定するところから将来の目標が明確に出てくるし、現状に対する不満とか危機感が現状打開のドライビングフォースになるのです。

 ただ、自分を変えたいという人の内実を踏み込んでいろいろ調べてみると、ほとんどが皮相的で、人それぞれの好みのようなもので、客観的には別に変わらなくても良いのではと思えるようなことを本人は変えたいと思っている場合が多いようです。そういうものはちょっとしたきっかけで気分が変わってどうでも良くなったり、逆に変わる必要が無いことに気づいたりするのです。

 数年前まで自分探しと云う言葉が流行りましたが、チェンジ!と出てくる心情は大体同じところからと思います。そしてこちらの方も、それに対する思い詰めも含めて、皮相的な場合が多かったように思います。

 しかしわずかな人においては、自分の現状に不満で今の自分を本気で変えたいと思い、いろいろな娯楽とか趣味とか仕事とか恋愛とか結婚とかでは自分探しもチェンジしたい欲求も紛らわすことができず、思い続けている人がいつの時代でもいるものです。自分の現状に満足できない、しかも表面的なところでごまかすようなことをしても納得できないのですが、得てしてこういう人はどう変わりたいかが明確にわからないものです。まさに自分探しと似ているところです。

 皆さん!もう少し本気でどう変わりたいのかを、あるいは自分探しをもう少し深く掘り下げてみませんか?

 そういう人が出てきた時にどうお話ししどう対応するか、小生なりの見解を次回に申うさせていただきます。(つづく)

 

Calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode