ローマ教皇フランシスコ
JUGEMテーマ:禅
ローマ教皇フランシスコ
丸川春潭
ローマ教皇の長崎での演説(2019.11.23)に感動し、いろいろなことを考えさせられました。
先ずは、世界情勢の中でまことに真っ当な正論を聞き溜飲が下がりました。それは我が意を得ての痛快にさえ感ずるものでした。
日本のマスコミはテレビも新聞も断片的でしかも重箱の隅をつつくような報道や解説しか流さないし、政府にしてもまさに政治発言以上のものを期待するのが無理と期待できないし、野党の方も足を引っ張っる、ためにする論議ばかりで、長年鬱積が溜まっていました。
現代の人類が抱える様々な事柄を何が幹で何が枝葉なのか、そして一つ一つの位置づけを本質的に判断して断言されました。素晴らしいことです!内容においてもその直向きさにおいても感動しました。
そして宗教者が最も政治的に正しい発言をするものだ!という驚きを感じました。何者にもとらわれない見地から正しい歴史認識と評価をすることが出来るのは宗教者だけなのだとあらためて納得しました。
またキリスト教が仏教なかんずく禅宗と違って、政治経済に直接関わってゆこうとする方向性を持ち発信をしていることをあらためて認識し直しました。特に、人間禅は在家禅を標榜しているのですが、見習わなければなければならないことだと思いました。そしてよく深く歴史を勉強していることに敬意を感じました。人間禅の創始者の耕雲庵英山老師が、人間禅創立(昭和23年:終戦から3年)直後から人間禅の会員に向かって「世界観と歴史観」をしっかり勉強し保持しておかなければならないことを力説されていたことを思い出しました。
また別の観点から、テレビを通じてのフランシスコ教皇の人となりを垣間見て、一神教も多神教も道を極めて行けば本質において全く変わらないと云うことを実感しました。
人間禅ならではの使命をしっかりと押さえながらも、これからの時代の新しい在家禅者の生き方に大きな勇気となすべきことの方向性の示唆を正受したしだいであります。
数息観座禅における質的向上のためのノウハウ(その2)
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数息観座禅における質的向上のためのノウハウ(その2)
丸川春潭
数日前(11月上旬)に、後期数息観座禅(数息観座禅が段々と深まった段階の座禅)における工夫(ノウハウ)の一つをブログ「座禅の工夫」にしてご紹介しました。
それは、数息をしないで10呼吸を一区切りとする高度な数息観座禅(正息観座禅)だったのですが、どうもこのブログを読んだだけではよく判らなかったようです。
そこでもう少し説明を加えます。
これはまさに数息観の質的向上をはかるための小生が考案したノウハウなのです。『数息観のすすめ』の後期数息観は呼吸を数えない数息観になるのですが、これをいきなりやってもなかなか座禅三昧に深く入ることが難しいのです。難しい理由の一つが、数息する場合は1から10まで数息すると一区切りとして反省ができ、またそれが向上のためのモチベーションにもなるのですが、数息しない只管打坐になるとエンドレスで雑念を切る座禅になるためになかなか深く三昧を掘り下げることが難しいのです。
そこで人間は数を数えなくても、前・中・後のような三段階は認識できるので、三呼吸(済んだ呼吸・今の呼吸・次の呼吸)を三回と一呼吸で10息の区切りとする正息観(呼吸を数えない数息観)のやり方を編み出したのです。
これを始めて未だ一年くらいしか経っていないのですが、朝晩の座禅で実行した結果が想定以上に効果があるので皆さんにも紹介したのです。
以上は前回の補足であり、以下が今回の新しいノウハウの紹介です。
息は数えないが10息の正息観を数本順調にやれたら、次のステップに進みます。これは数息しないけれども呼吸に意識をしっかり残した座禅になります。本来エンドレスのものでなかなか深まらない高度な座禅ですが、上述の正息観をしっかりした後であれば十分に出来ます。これも数分間順調にできれば次のステップに行きます。
次のステップは、完全に呼吸から離れる忘息観・離息観です。
このステップへ移行するときにちょっとしたしかし重要なノウハウがあるのです。それはしばらく呼吸を止めたままの座禅をするのです。苦しくなるほどする必要はありません。これが入ると、今までの呼吸に意識をしっかり残した数息しない正息観から全く呼吸を意識しない忘息観に切り替えがキチッと出来るのです。この忘息観はまさに宝鏡三昧であり、座禅の醍醐味がここにあります。
試みてみて下さい。(つづく)
座禅の工夫
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座禅の工夫
丸川春潭
本題に入る前に、現在広報担当部長を中心にして鋭意人間禅のHPの刷新をすすめています。従来のHPは各支部・禅会毎に立ち上げて、個別のHPとしてネット広報を他の僧堂や禅会と競っていたのですが、いろいろな観点(スマホ対応、人間禅としては弱小分散などなど)を考えて、HPの刷新を決意しました。
これからは基本的に、人間禅は一つのHPを全支部・禅会全会員でもって盛り上げ、ネット広報における競争力を上げようとするものです。今年度中には完成し、順次新HPへ結集することになります。そしてわれわれがなす努力はブログをしっかり書き続けることです。
ブログ書きは、自分のために書き続けるものと心得て、新HPが出来るまででも、出来てからも書き続けて頂きたいと思います。自分の心境、感動したこと、同じ志を持つ人への問題提起等を書き続けると、一年経って振り返ると大変意義深いことが判ります。
後期数息観座禅(数息観座禅が段々と深まった段階の座禅)における工夫(ノウハウ)について参考までにブログにします。
耕雲庵英山老師の数息観のすすめに言われる後期数息観は、数息しない数息観座禅であり、座禅経験20年30年でもなかなか踏み込みがたい深い三昧レベルです。具体的に小生がこれを、息を数えないが呼吸に意識を集中する正息観座禅と、数息に全く意識をしない忘息観(離息観)座禅の二つに分けられると解説してきています。
本日の工夫は、後期数息観の前段の正息観座禅についてです。
これは一般的には上座仏教とか曹洞禅の只管打坐と相通ずる座禅であり、なかなか人間形成として日進月歩させることが難しいものです。その根拠の一つが、今実践した正息観座禅がOKなのかNOなのか自覚しにくい点です。
そこで小生は、数息はしないで10息を一区切りとする正息観座禅を現在実行しています。もう少し詳しく申しますと、数を数えなくても三息は意識の中で保持できます。これを三回続けると9息になり、締めの一呼吸で10息とします。判りやすく云えば3息を三回、息を数えずにつづけるのです。息を三回数えるのであればまことに簡単ですが、息を数えないとなると厳密な1から10までの数息観(70点)を連続5回出来るよりももっと上の三昧力がなければ出来ない高度な座禅になります。ただ客観的に云えば、正息観の前段階といっても良いかと思います。
この10息正息観法は、10まで完璧に出来たかどうかが明確であり、数息観点数としてこれを5本通して81点とすることが出来ます。ここがミソです。
小生の朝晩の数息観実践では70点の数息観を2,3本通したらすぐこの正息観で10までを数本通し、そして次にステップアップすることにしています。(今日はここまで、明日はまた別の工夫を)
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